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奈良・桜井の歴史と社会

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嶽山(だけやま)古墳

宇陀市榛原安田の山中である。

嶽山から安田に下る尾根に真南に開口する横口式石槨墳である。見た目では横穴式石室の奥に石槨が取り付けたという形で、複雑で不思議な構造となっている。


桜井市の中心部から東を見るとまずは外鎌山だが、実はその奥に大きな山を見ることができる。

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こんな形で堂々としている。ちょっとカマボコ型で東西に長いから、きたの初瀬から見ると台形に見える。この山の南側は笠間、安田、雨師(いずれも宇陀市榛原)と西から東に並んでいる。

国土地理院の地図には526mと記されるが、山名が記されていない。登山道は笠間の新陽明院陵の横から登っていくとNHKの中継塔が設置されている頂上に到着する。

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            新陽明門院陵

笠間の方に山名をお聞きしたことがある。「ダケだ」とのことである。「いや、山の名は」と重ねて聞くと「ダケ」。

違う機会に雨師の方に聞いたら、「ダケ」、しいて言えば「雨師のダケ」。

「ダケ」だけという山名、村にとっては大事な山だったんだなと思われる。

この名前の古墳があることに、今更ながらだが、最近気が付いた。それは「嶽山(ダケヤマ)古墳」という名である。「ああ、ダケは岳じゃなく、嶽なのね」、という感じである。

明治26年に調査されたという野淵龍潜の調査でも286番として記録がある。

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これをさがした。なかなか見つからなかった何とか到着できた。

安田区の農事集積所をまっすぐ西に上がる。左手に「嶽山古墳150m」の看板がある。

そのまま上ると右に電柵が張られた道が見える。そのまま20mも上がると車が停められる。電柵のフックを外して山に入る。すぐに左に分かれる道があり、それを登る。100mほど登ると右手に看板、右へ行けである。ブッシュをかき分けながら右に入ると尾根の真ん

中に大右があり、到達できた。

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入口見る、狭い。先も見えない。これは絶対に無理である。

墳丘の上に上ると、僥倖、カメラが入る穴があった。横穴古墳かと考えたが、一番おくに石槨が築かれている。

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玄室の奥に石槨があるとはと驚くが、これは大阪府羽曳野市の飛鳥千塚古墳群、奈良では桜井(この古墳と近接)の花山西塚古墳(国史跡)位のものらしい。

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「村の西方帰山の峰にあり。石窟ありといえども・・・入りえず」と龍潜は記した。ほかにも「石槨は見ることができない」とされていたが、最近、羨道の合間に口が開いたと思われる。だから、カメラは入る、滑りこめば入れると思うが、出てくるのが至難の業。それは現場で判断してください(笑)。

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by koza5555 | 2017-12-27 21:41 | 宇陀 | Comments(0)
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