長谷寺と十一面観世音菩薩像の原寸大の大画軸が開帳されている。縦1646センチメートル、横が622センチメートル。画軸であるが重さも125kgあるという。
軸がは正面に観音菩薩像が描かれ、向かって右には難陀龍王、左には右宝童子が描かれている。
「大きな御影は、室町時代・明応4年(1495年)に罹災した本尊の復興の為に、興福寺の南都絵法眼清賢が高野髪430枚を継いで設計図として描かれたことに由来します。江戸時代に入り、長谷寺本願院65世秀海上人は寛文5年(1665年)に大阪堺の篤信者より信施を受けて、日本最大のこの大画軸を仕立てた」(長谷寺配布資料)とされている。
長谷寺の十一面観世音菩薩は729年、沙弥徳道の指揮のもと稽文会(けいもんえ)と稽主勲(けいしゅくん)によって造仏されたとし、開眼供養の導師は行基(菩薩)とされている。この、十一面観世音菩薩像は、極めてたびたび、火災に伴い焼失を重ねている。
いずれも記録が残されているが、健保7年(1219年)の安阿弥、快慶の手による再建は画期的である。御頂仏まで三丈二尺三寸、1213センチメートルの現在の姿は、この時以来と思われる。
巨大な仏像は、平安時代の末ころからの寄せ木細工という彫法、彫刻ができて作れるようになった。外からはうかがい知れないが、2本の心棒は下の台座に挿しこまれており、その上部に2本の心棒が前後に入れられ、頭部をささえており、また、この心棒に寄せ木が取り付けられている。
その後も罹災は度重なり、明応4年(1495年)11月、堺商人の大きな喜捨により復興成就。この時に興福寺の清賢による指図が作られたとされる(この図がその後、画軸となり今回公開されているもの)。さらに天文5年(1536年)6月に兵火にかかり焼亡。二年後の天文7年に造仏、こちらが現在の観世音菩薩像である。
画軸は1495年。菩薩像は1538年ということである。
ぜひとも、拝見していただきたい。この会期は5月31日までで、大講堂で展示されている。
拝観料とは別に500円(合計1000円)が必要だが、普段、拝見できない大講堂に入堂することができる。
今回は撮影も許可ということで、撮影用のグッズも用意されているという破格の対応で、これが楽しみである。
◆十一面観世音菩薩の罹災(火事)、再建の歴史は、「豊山前史」(永島福太郎著、昭和37年)、「長谷寺の仏教芸術」(豊山春秋5 平成2年)などに詳しい。