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奈良・桜井の歴史と社会

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語りだす奈良 118の物語   西山厚  

いま、古事記の音読をしている。おもしろい。
なぜ、こんなことを連休に初めたか。それは西山厚さんの本を読んで啓発されたのである。


毎日新聞の連載が本になった。この本の紹介は、アウトラインではなく、いくつかを抜粋した方が良いと考えた。

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こんな人いた!

どうしょうもない悪い世界に住んでいたとして・・どう生きたらいいだろうか。方法は三つである。それは

あきらめる。

別の世界に行く。それは浄土宗の法然の考え。

この世界を変える。これが貞慶の意見である。

奈良国立博物館で、10年くらい前に貞慶展をやられたとのこと。この貞慶を巡っての話である。
貞慶は鎌倉仏教の本流で、解脱上人・・

最後に住んだのが海住山寺、浄瑠璃寺に関連し、貞慶の関係者が造ったのが伝香寺の地蔵菩薩であり、それらの寺々からご仏像がおでましになったとのこと。(p108

古事記を読む

奈良国立博物館の「古事記の歩んできた道」・・・の準備を進めるうち、久しぶりに『古事記』の原文に触れたくなり、新潮日本古典集成(西宮一民さん耕注)で、全巻を声に出して読んでみた。いい!実にいい!『古事記』がこんなに魅力的な作品だったとは、今まで十分に認識していなかった。(p117


日曜美術館

琴は特別な楽器である。琴を弾く人物埴輪がたくさん見つかっているが、それは神さまに向かって弾いている。琴は神と人をつなぐ楽器、日本人は琴を特別視していた。

琴は絃の下に柱(じ)を立てる。これを琴柱(ことじ)という。琴柱がないと美しい音が出ない.絃の下で美しい音を支える琴柱。私の母の名前である(p230

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天理参考館で拝見した琴。ブラジル移民が慰めの為に琴とかを作った。ちなみに琴は、雅楽で使われる楽器の中では最古から使われたものと言える

談山能

安時代に円仁という比叡山の僧が唐に渡り、常行三昧を伝えた。常行三昧は不眠不休で念仏を唱えながら、本尊の阿弥陀如来像の周りを歩み続ける厳しい修行でそれを行う場所が常行堂である。(談山神社の儀式殿、前は権殿)

お寺では大きな法会のあとに、僧侶によってさまざまな芸能が演じられることがあった。これを延年という。多武峰の常行堂はその代表例のひとつで、正月の修正会のあとには、「翁」をはじめとする66番の猿楽が演じられたらしい。

お堂の後ろの入り口を後戸という。後戸から入ったところの空間には、東大寺法華堂のように、執金剛神像のように、本尊を護る神や、何か特別の力を持つ神仏が祀られた。

多武峰の常行堂の後戸には摩多羅神(またらじん)が祀られていた。摩多羅神は円仁が帰国する船の中に現れた神で、常行三昧に入った僧を守護してくれる存在かと思われるが、

談山神社の常行堂、その後戸の天井の裏の小部屋には「摩多羅神」と墨書された箱が置かれており、中には大ぶりな翁の面が入っていた。

平成23年(2011年)、観世流宗家の観世清和さんが、権殿(現在の儀式殿)において、この面を用いて能「翁」を奉納した。(p345



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談山神社の常行三枚堂。現在は儀式殿に呼ばれている

くっつく

正倉院展に聖武天皇のベッドが展示された。展示されたのはひとつだけだが、正倉院には同じ大きさのベッドがもう一つある。ふたつをくっつけて聖武天皇がおひとりでのびのび寝ておられたのか、ふたつをくっつけて、聖武天皇と光明皇后が仲よく休んでおられたのか。

・・・

ところで、聖武天皇の御陵と光明皇后の御陵はくっついている。地図で見ると,二つの御陵は完全に合体しており、よくみると、合体した姿はハート形だ!(p310

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ハート形かな?

奈良が好きになる。聖武天皇・光明皇后が好きになる。仏教のことを考えたくなる。

そして、こんなわけで、古事記の音読を始めたのである。


by koza5555 | 2018-05-02 20:46 | 読書 | Comments(0)
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