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奈良・桜井の歴史と社会

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益田岩船(橿原市)と石の宝殿(兵庫県高砂市)

橿原市の白樫西集会所の奥から、200mくらい山を登ると益田岩船に到着できる。

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車であれば白樫町集会所の左の道を上がっていくと、何とか駐車場所は確保できそうである。車を降りてのぼり口に行く、そこから標高差は30mでさほどの山ではない。

念の為に申し上げておくと、今の時期(5月~11月くらいまで)は、猛烈なやぶ蚊の攻撃を受けるので虫よけスプレーが必須である。

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標高130mの場所に巨大な花崗岩の石造物で、益田岩船といわれている。

東西約11m、南北約8m、高さ約47mもあり、重さは約715トンとされる。

上部の平坦面には一辺が約1.6m、深さ約1.3mの方形の穴が彫られていることが特徴である。

益田池の碑を据えた台石、天文台、祭壇などといわれているが、今では横口式石槨の製作放棄のものと言う見解に僕は賛成である。

『大和名所図会』(秋里籬島著 寛政3年 1791年)にも、益田岩船として紹介されている。

文は「暮れ行く春のかたみには深山(みやま)の花のまた散りのこり、岩つつじ咲き乱れの眠れるをりふし、時鳥(ホトトギス)の初声におどろきけるも一興とやいわん」と、村人の遊びの場となっていることを紹介し、岩船は「益田池の碑の台座」であり、碑は高取城に取り込まれたとの言い伝えがあるとしている。(『奈良名所むかし案内』本渡章参照)

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兵庫県の高砂市の生石(おうしこ)神社を訪れるツアーを計画している。

神社のご神体は石の宝殿と呼ばれ、凝灰岩の岩山の中腹を削って作られた巨石である。水面に浮かんでいるようにも見えて、浮石ともいわれる。

2014年(平成26年)10月には、「石の宝殿及び竜山石採石遺跡(いしのほうでんおよび たつやまいしさいせきいせき)」として、国の史跡に指定されている。

6.4m、奥行き7.2m、高さ5.7mで重さは500トンを越えるとみられる。

 誰が何のために作ったのか、なんでこの形で残されているのかが不明である。

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 『播磨國風土記』(713年ころ)の印南郡大國里條にある記述には、

「原の南に作り石あり。形、屋の如し。長さ二丈、廣さ一丈五尺、高さもかくの如し。名號を大石といふ。傳へていわく、聖徳の王の御世、弓削の大連(ゆげのおおむらじ)の造れる石なり」との記述があり、「弓削の大連」(物部守屋)が造ったとされている。横穴式石槨の施主が物部守屋、守屋の没落によって、放置されたと考える論に僕は惹かれる。

 大石であり、いずれも横穴式石槨の並び墓とみたい。明日香村の牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)にその実例もある。

 益田の岩船と石の宝殿はいずれも大石で見るものはその迫力に圧倒されるが、完成度は相当違う。

 稜線近くの大石を削った益田の岩船。

 岩盤から削りだされた石の宝殿。完成度に差があることは明瞭である。



by koza5555 | 2018-08-10 15:03 | 橿原・明日香・御所・吉野 | Comments(0)
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