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奈良・桜井の歴史と社会

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中秋の十五夜

八月(はづき)十五夜の花はススキである。またハギをはじめ秋の七草を飾る土地も多い。


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十五夜は月ごとにあるのだが、特に八月十五夜の月を賞する風習は、四季の移り変わりの中での「中秋」という好季節であることと、815日が「豊年祭」を営む日…日本の風土と生活の上に定着したものであった。秋の大切な折目だったのである。

この行事は今でも、旧暦で行われていて、9月十五夜がこれに当てられる。今年は924日が中秋の十五夜である。


中国では月の陰影をヒキガエルや兎と見て永遠の命をもたらす仙薬をつくといい、日本ではハレの日の餅をつくとみる。仙薬と餅・・これも不思議である。

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まずは、仙薬問題を考えてみる。

日本の神話では、月の神は「月読命」(つきよみのみこと)で、月の満ち欠けを読む(数える)神の意味がある。


イザナギは黄泉の国からイザナミに追われて地上に逃げ帰り、みそぎをする。左の眼からは天照大神、右の眼からは月読命、鼻を洗うとスサノオ命が生まれて、これを三貴人という。

天照大御神とスサノオ命は古事記・日本書紀では大活躍だが、月読命がとんと出てこない。


ところが萬葉集で、この月読神話が語られている。

「月読神話」の精髄は、月の満ち欠けを「蘇るもの、不死なるもの」とみることが土台である。

「月読の 持てる変若水(をちみず) い取り来て」(巻13-3245)とあり、この変若水(おちみず)は若返りの霊水とされている。月は満ちては欠け、欠けてはまた満ちるので、よみがえるもの、不死なるものとみられたようである。

「わが手本ま噛むと思わむますらをは 変水(おちみず)求め 白髪おいにけり」(巻4-627)」では、「私を妻にしたいならば、オチミズがいるのでは・・白髪でしょう、あなたは」と歌われるのである。


こんな風にみてくると、「月のウサギは不老長寿の仙薬をつく」という中国の思想はよく理解できた。

さて、中国のウサギの仙薬つきが日本では餅つきに変わるのが、これまたおもしろい。

日本の米作中心の農耕文化のもとで、中秋の名月、十五夜は秋祭、豊年の祭でもあり、庶民的に見れば、薬よりも餅つきだろうか。


月の満ち欠けに古代の人は若返りの可能性と力を感じた。月の満ち欠けは古代の人の希望であった。

僕もそんな年になった。今年の中秋の十五夜、924日は特別の思いで若返りを祈りたい。

以上は「節供の古典。花と生活文化の歴史」の「十五夜の古典」(雄山閣、桜井満著)の丸写しである。

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by koza5555 | 2018-09-02 08:55 | 読書 | Comments(0)
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