人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

奈良・桜井の歴史と社会

koza5555.exblog.jp

増賀上人と談山神社

多武峰縁起絵巻によれば、増賀(そうが)上人は多武峰(現在は談山神社、江戸時代までは妙楽寺)の中興の祖である。増賀上人は参議・正四位下、橘恒平の男子で、10歳の時に比叡山に登り慈恵太師(良源・山門派・円仁門徒)の弟子となる。

 増賀は夢を見る。天暦2年(948年)82日のことで、32歳の時である。夢に維摩居士が現れ、「浄土を志すならこの地に住め」と景色が示された。応和3年(963年)に如覚(多武峰少将・藤原高光)の勧めで多武峰を訪れた増賀は、この地が15年前の夢の景色と同じと理解して、三間一面の庵を結び、41年後の長保5年(1003年)69日に死去した。


この増賀上人を考えてみたい。

明治36年に増賀堂が再建されている。これが増賀上人の庵跡と思われる。45年前の「磐余・多武峰の道」(金本朝一著)には、写真があるが現在は見当たらない。

増賀上人墳(そうがしょうにんつか)は残されている。神社の西口から山腹をめぐる林道を一キロほどたどると、念誦崛(ねずき)に到着する。「増賀上人墓」との看板が建てられている。 正面の石段をまっすぐ上がっていくと石積み塚にが見えてくる。

 


増賀上人と談山神社_a0237937_07283172.jpg

増賀上人と談山神社_a0237937_07283484.jpg
二重に積み上げられた石の塚で、下段の直径が4メートルほど、全体の高さが2メートルである。覆い堂が建てられていたことは、残された周囲の基石から良く分かる。

周囲には大変な数の五輪塔、板碑が立てられているが増賀上人の石塚の規模はずば抜けている。


増賀上人と談山神社_a0237937_07282199.jpg

念誦崛

多武峰に増賀上人を招いた如覚(藤原高光)の墓が念誦崛にはおかれていないことが不思議である。

念誦崛から2キロメートルも離れた、飯盛塚の山中に高光の墓は置かれている。東の飯盛塚に高光墓、談山神社(妙楽寺)、西口を経て北山への峠に差し掛かるあたりに念誦崛という配置である。

増賀上人と談山神社_a0237937_07283846.jpg
増賀上人と談山神社_a0237937_07282839.jpg
藤原高光墓(飯盛塚)



『多武峰ひじり譚』、三木
紀人が記した。40年ほど前の本である。

平安時代は「誰かを語るとき、彼の死とその前後は最も関心を呼ぶ話題であった。」その意味では「増賀の終焉は格別に印象のつよいものだった」、そんな時代である。

その例として徒然草である。「増賀ひじりの言いけんように、名聞苦しく、仏のお教えにたがふらんとおぼゆる」として、増賀上人を絶対的境地に達した人、「まことの人」だったと兼好は紹介した。

増賀上人のエピソードを一つだけ紹介しておきたい。

増賀の師匠は良源である。毎年のように僧位を上げていき、行基以来の大僧正となり、比叡山の座主となった。

この良源が大僧正に任ぜられたときにお礼言上に参内する。おびただしい僧侶、従者を伴い行列を進めるが、そこに増賀が登場する。

疲れたあめうし(牝牛)の浅ましげなるに乗りて、鮭というものを太刀にはいて、御屋形口をうちけり。

屋形口とは牛車の乗り口で、そこに現れるのは警護の責任者を意味する。増賀は3000人いたという良源の一番目の弟子だった。

行列、見物人はどよめくが、増賀は再三にわたり、牛を乗り回したという。

「見るものあやしみおどらかぬはなかりけり」。

増賀上人と談山神社_a0237937_08035881.jpg

それに対して「名聞こそ、くるしかりけれ」「かたいのみぞ(乞食の境遇こそ)たのしかりけれ」と増賀は謡った。

「悲しきかな わが師、悪道にはいりなむとす」。

これが増賀の道心である。

師の良源は、「名刹を求めぬ心は判った。但し威儀は正せ」というが、増賀はそれを受け入れることはなかった。

「いかでか、身をいたづらにせん」というのが増賀の考えであった。「投身、入海、身燈」という宗教的自殺をするものが多かった時代ではあるが、増賀は身体的な消滅を願ったわけではなかった。すべての衣服と財産を乞食に施して裸で歩いたり、山にこもったのである。増賀上人はいくつかの例外を除いて・・多武峰を出ることはなかった。山を出ることは増賀にとって、はなはだしい宗教的な堕落であった。

増賀上人の信念、信仰、道心は、その後多武峰にどんな形で引き継がれていったのか、関心と疑問は深まるばかりである。

増賀上人と談山神社_a0237937_08040404.jpg



by koza5555 | 2019-01-13 07:42 | 桜井・多武峰
<< 水面に上下する宇陀市の濡れ地蔵 談山神社の春夏秋冬、すべての魅... >>