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奈良・桜井の歴史と社会

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メスリ山古墳

6月に「谷首古墳、コロコロ山古墳、メスリ山古墳の案内をせよ」との依頼がある。

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メスリ山古墳のはとても面白いが、現地でどう語るかは簡単ではない。橿原考古学研究所の博物館(現在は閉館中)に、しっかりした展示・・巨大な円筒埴輪、膨大な矢じりが並べられていたが・・現地にあるのは小山である。

メスリ山古墳の主要部分は桜井市高田にあり、後円部の一部は上の宮である。メスリ山に接する上の宮の垣内(かいと・小字ではない)の名前が・・これが「てんのう」という垣内名である。周りの人々が陵とみていた歴史もあるというのも一つの前提である。

昭和34年に奈良県によって発掘された。所在地は高田のメスリ、上の宮の東出という事で当時は、東出塚古墳(古墳・桜井市文化叢書)とか、鉢巻山古墳(葺石の並ぶさま)とも呼ばれていたようであるが、橿原考古学研究所の報告書は「メスリ山」で出されて、名称が確定する。


御破裂山の尾根の先端に築かれている。東西の軸線の前方後円墳で北方から見ると存在感が明瞭である。

全長250㍍、後円部径128㍍、前方部幅80㍍。後円部が三段で、全面に葺石が残るのが特徴である。四世紀半ばの古墳で、全国的に見ても14位の巨大古墳である。

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墳頂で、石室の天井石をみることができる。私有地で本来は許可が要るだろうけど、しっかりしたのぼり道ができていた。

さて、メスリ山古墳
●その大きさもさることながら巨大ハニワ

●古墳の斜面の全面に敷かれた葺石

●発見された埋蔵物

之らの状況から被葬者は大王級であることは間違いないとされている。

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まずはハニワの事。

後円部は三段で作られており、各段には円筒埴輪列が巡っている。さらに後円部、方形部とも最上段に密集していた。

円筒型の器台型の埴輪は高さ2.4㍍、径が1.3㍍で日本では最大である。

竪穴式石室を巨大埴輪が二重で取り囲む形で配置されたていた。

発見されたときから大きなものだと考えられていたが、奈良教育大学の学生だったの赤塚次郎(現在は愛知県埋蔵文化財センター調査課長)さんが、破片を整理して高さが2㍍を超えるものと判明した。さらに、欠けた部分を継ぎ足して復元に成功した。

桜井の陶芸教室で複製にチャレンジ、奈良芸術短期大学の学生も焼き上げている。

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これらの複製品は、橿原考古学研究所博物館(閉館中)と桜井市民会館ホールに展示されている。

葺石もすごい。ゴロゴロの川原石で、今でもたくさん残っている。三段の築造で葺石が巻いていたことから、鉢巻山とよばれていた・・・とか、「漬物石を拾いにいった」という話も聞いた。


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発掘された埋蔵物がすごい。未盗掘の副室があった。

後円部墳頂には竪穴式石室(主室)がほぼ南北方向に位置し、その東には副室がある。

石室は板石が積んで作られている。石室材は亀ノ瀬の安山岩とされ、その上に8枚の天井石が載せられている。この天井石は露出しており、現地で見ることができる。

すぐ東側、石室を取り囲む高坏型の埴輪の下の石室(副室)があり、大量の副葬品が埋められていた。副室は持ち送りの竪穴式石室で、こちらの天井石は小さい。この石室が未盗掘で、大量の遺物が出土した。玉杖、鉄製の弓、200本以上の槍先、236本の銅矢じりが納められていて、武器庫のようだといわれた。



平成17年(2005年)に「メスリ山古墳出土品 一括」として重要文化財に指定された。

古墳本体としては昭和55年(1980年)に、国の史跡に指定されている。

メスリ山古墳の歴史の中での位置づけ

桜井茶臼山 → メスリ山 → 渋谷向山は同一系統(工人が同じか)という豊岡卓之(橿原考古学研究所)さんの編年をお聞きしたことがある。とても興味深い論で、その詳細は当時、20161月のブログで紹介している。興味があれば、「桜井茶臼山・メスリ山古墳と柄鏡型古墳」を見ていただきたい。

このツアーは東京方面のお客様対応の案内であるが、11月3日(先のことだなあ)に一般参加のウォークを計画しているので、また、その詳細は紹介いたします。



by koza5555 | 2019-03-19 10:59 | 古墳奈良県東部(桜井天理とか)
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