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奈良・桜井の歴史と社会

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義犬塚古墳と捕鳥部萬(ととりべのよろず)

捕鳥部萬と忠犬の白い犬の事が、「泊瀬部天皇 崇峻天皇」(『日本書紀』)に書かれている。

「秋7月(崇峻天皇二年589年)に、蘇我馬子宿禰大臣、諸皇子と群臣とに勧めて、物部守屋大連を滅ぼさむことを謀る。」とされ、因縁の蘇我と物部の最終戦が始まる。

『日本書紀』は物部守屋の滅亡までを52行にわたって(岩波文庫版)に書き連ねる。

よく見ると、その行数の配分がすごい。蘇我の陣営、戦いの帰趨、守屋の死去、四天王寺、飛鳥寺の建立までで24行、残る28行は物部の近侍者の捕鳥部萬(ととりべのよろず)のことだけがこまごまと触れられている。


捕鳥部萬は守屋の近侍である。勇敢に戦うが守屋が死んだと聞いて、妻の実家の有真香邑(ありまかむら)に逃げる。朝廷は数百の兵士を動員して捕鳥部萬を追い詰めた。萬は策略を用いて戦い、三十余名の兵を殺すが、最後は自らの首を切って死ぬ。それを聞いた朝廷は「萬を八つ裂きにして、八つの国にくし刺しにしてさらせ」と命令する。

その時、雷鳴がとどろき豪雨となり、萬が飼っていた白犬が萬の頭をくわえ出して逃げ、古墓に埋め、墓を守り通して飢え死にしたという。
それを知った朝廷は、忠犬をあわれとして「墓を作って葬れ」と命じた。萬の一族が有真香村に捕鳥部萬と白犬の墓を並べて作った。


有真香邑とはどこ・・・。貝塚か岸和田かという事だが、ネットで検索してもその町名が出てこない。そこで、地図を見ていたら、「岸和田警察署 有真香駐在所」とか、「有真香郵便局」というのがある。
そこで、岸和田に行ってきた。まずは岸和田城。昭和29年の再建とのこと。

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「もともとは(明治時代のころまで)、津田川の中流域は有真香村であったが、町村の再編成で村名が変わった。残っているのは駐在所と郵便局の名前だけ」(有真香駐在所の警察官による)と聞いた。

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「有真香邑は今の阿間河滝・神須屋・八田・真上・畑・流木・極楽寺町一帯にあたります。」(岸和田市役所HP)
津田川沿いの高台に捕鳥部萬と白犬の古墳が残されている。天神山古墳群といい、多くは宅地開発などで失われたとのことであるが、川から(北側)見て、左は捕鳥部萬の大山大塚古墳、右が白犬の義犬塚である。

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古墳のはるか下流、紀州街道沿いに道標がある。

津田川下流、岸見橋に「捕鳥部萬墓并犬塚是ヨリ三十丁」という道標が立てられている。

街道筋にある名所や社寺への案内道標と同じである。1871(明治4)年正月に建てられたとのことである。岸見橋の南側、海はすぐそこである。

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捕鳥部萬墓(大山大塚古墳)

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捕鳥部萬は、6世紀に朝廷で権力を握っていた物部守屋に仕ええていましたが、587年守屋が打たれたとの知らせを受けると、妻の実家がある有真香邑(現在の八田町・阿間河滝町周辺)に逃れました。しかし、朝廷からの激しい追撃を受け山中で自害しました。朝廷から萬の死体を八つ裂きにし、串刺しにせよとの命令が出ましたが、萬の飼っていた一匹の白い犬が萬の頭を咥えて古い墓に納め、犬はその側に臥してその後死んでしまいました。 

朝廷は忠義深い犬として、萬の一族に命じ、萬と犬の墓を作らせた日本書紀には記されています。(平成30年3月 岸和田市教育委員会)


義犬塚古墳(岸和田市神須屋)

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義犬塚古墳は、径20m、高さ約3mの円墳です。しかし、墳頂部は削平されています。

『日本書紀』によると、6世紀に朝廷で権力を握っていた物部守屋の家来である捕鳥部萬が自害した後、その死体を守り横に臥してそのまま亡くなったといわれる忠義深い白い犬がこの古墳に葬られているとされています。

 また、ここから南東約250mに位置する大山大塚古墳公園内には、市指定史跡の捕鳥部萬墓があります。(岸和田市教育委員会 平成313月)

今に残る、この二つの古墳の伝承と考古学的事実が合致しているか‥まあ、夢は夢として置いておくという事もあるけど、ちょっと勉強中で近日中に・・・ここに補足します。
補足

岸和田市史によれば、ここらあたりは当時は秦氏が支配したとして、捕鳥部の本拠地ではないとしている。妻が秦氏から出た事は可能生が高いとも。

また、大山大塚古墳は前方後円墳とされてきたが、平成13年に岸和田市がトレンチを入れており、報告書には「円墳と考えるほうが妥当」と記されている。

岸和田市教育委員会さんに手助け、頂きました🙇‍♂️





by koza5555 | 2019-07-10 09:15 | 大阪とか京都とか | Comments(0)
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