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奈良・桜井の歴史と社会

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下居神社 天満祭

714日(日)、下居神社の天満祭が斎行された。

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神社の住所は下(しも)字天満谷・浅古字宮の谷で、さらに倉橋にも接している。境を接する、三ヶ大字によって守られている神社である。例祭は天満祭といい、夏祭りとして710日前後の日曜日に斎行される。祭の世話役は各大字の持ち回りとなっていて、今年は下区の担当となった。


多武峰に至る県道37号線から登るが下区から登っても(鳥居がある)、倉橋区から登っても(崇峻天皇陵の入り口、これを東へ)、500㍍ほどは歩かなければならない。


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参道は見事に草刈りがされていた。役となった下区の舛田区長にお聞きすると、「一週間、準備してきた」とのことで、準備には力が入っている。

創立年代は不詳ですが『文徳実録』(平安時代前期の歴史書)に「天安元年(857年)八月・・・大和国従五位下椋橋下居神。并授従五位上」とあり古い神社ということがうかがい知れます。


江戸時代以降、天満神社と称した時期もあったようです。その他、境内に近年建てられた石碑に暗殺された崇峻天皇の子供の蜂子皇子とこの神社との関わりが記された石碑があります。静かな落ち着いた佇まいの神社です。御祭神は彦八井耳命

三ヶ大字の氏神で「延喜式」神名帳(巻八)十市郡の「下居神社」に比定(大和志)されている。

以上は桜井市観光協会による

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倉梯に宮をおかれた崇峻天皇、暗殺されたあと、その皇子の蜂子皇子は奥州に落ち延び、出羽三山神社(山形県)を開山したとされている。蜂子皇子は、出羽三山神社に下居神社を鎮座して、大和の地をしのんだ。

平成5年の出羽三山の1400年祭には下居神社の氏子が公式参拝(58日)、公式参拝の記念碑の除幕式には出羽三山から宮司、氏子総代が列席されたとのことである。

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注・延喜式内社、下居神社は大字下居の「新明神社」との論もある。山間には鎮座するが、1711年銘の灯籠、1858年銘の狛犬などを残す由緒ある神社である。

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by koza5555 | 2019-07-14 22:13 | 桜井・多武峰 | Comments(0)
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