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奈良・桜井の歴史と社会

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龍王山古墳群

龍王山古墳群に入ろう・「奈良県随一の古墳密集地帯を行く」というウォーキングを31日に案内する。やまとびとツアーズの企画だが、ありがたいことに定員はオーバーとなった。

龍王山、山頂近くにはタクシーで上がる。安易だが、時間と参加者の体力からみて妥当な設定である。

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龍王山古墳群。山すそ、西門さいもん)川の両岸を中心にした山中の古墳群。古墳(横穴石室含む)数は600基以上、発掘がすすめば総数は1000基を超え、日本最大の群集墳である。古墳の内訳は横穴式石室墳が300基。岩盤を穿って造られた横穴が300基とみられる。

標識がない。ここが新沢千塚古墳群(橿原市)、一須賀古墳群(太子町)、岩橋千塚古墳群(和歌山市)などと大きく違う。

『奈良県遺跡地図』第二分冊と、『龍王山古墳群』(橿原考古学研究所)をじっくり、眺めて案内の方向を考えた。

ポイントを絞って楽しんでいただくウォーキングである。頂上から下るのだから、遺跡地図96は初めに訪れる。だんだんと下がって、あれこれ見るのだが、「六地蔵周辺」を集中的に探索することとした。

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『遺跡地図』でいえば、310から347あたりである。


期待していた342番と340番に入ってみた。奥壁の石が無い。側壁の石も抜けている。これは作った時とは違う形であるから危険と感じた。
 そこで探してみると、素晴らしい石室があった。336番である。入り口が狭い。右片袖式の古墳である。持ち送りがきつく、それを上からシッカリ押さえつける形で大型の天井石小ぶりだが、むちゃくちゃ美人古墳だ。

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20基ほどの古墳に入ったり、覗いてみた。今日は感動する石室をたくさん拝見できた。


更に下って、横穴(おうけつ)墓を拝見する。龍王山古墳群には300以上の横穴墓が残されている。こちらは墳丘はなく、岩を穿って形を整える石室で、山中・山上の崖に掘られている。こんな感じかな。


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龍王山古墳群の築造時期は、6世紀中頃から7世紀末まで。横穴式石室墳径10㍍前後の円墳が多い。墳丘を持たない横穴墓(おうけつぼ)は横穴式石室墳より遅れて造られ、7世紀のものが多い。

古墳群の出土物とかである。権現堂古墳(巨勢谷)と同じ形式の石室がみられる。三里(平群)古墳と同時期の馬具。牧野古墳(広陵町)や二塚古墳(新庄)と同時期の須恵器が出土。環頭大刀、玉類、耳環、馬具、農工具などの副葬品、数多くの土器が出土している。

石室に使用される石は榛原石、地元の石などが複雑に混じる。尾根ごとに石工が違うか。

やはり、被葬者像は気になる。盆地東部に本拠地があった物部、保積、大倭、和邇、柿本などの諸豪族を被葬者とみる。

大和王権の中枢にかかわる巨大古墳が置かれる地域でもあり、その影響下の数多くの豪族の墓とみるとの論もある。古墳の数が莫大。盆地各地の古墳との類似、出土品の共通性から。

龍王山古墳群は松本清張が『火の路』で「死者の谷」と紹介した。

「踏査により確認できた古墳総数(その分布範囲は東西1キロ半、南北1キロ)は、横穴式石室墳及びその可能性あるもの279基、完存もしくは破壊されていてもそれとわかる横穴は292基、総数571基である。その他見落としのものを入れると600基前後と考えられる。その古墳群は数といい、立地条件といい『死者の谷』と呼ぶにふさわしい。」(「竜王山古墳群の問題」清水真一『古代学研究62』)を松本清張が『火の路』に転載して、広く世に知られた。

31日が楽しみである。



by koza5555 | 2020-02-14 22:46 | 天理・山の辺の道 | Comments(0)
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