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奈良・桜井の歴史と社会

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古代、日本の歴史は歌謡によって伝えられた

『古代十一章』 毎日新聞社。1974年発行、古い本だが中西進45歳の時の本である。


「初歩的な解説のものもある反面、学界的にも新しい意見を述べたところもある」とはじめに断りがある

古代、日本の歴史は歌謡によって伝えられてきた。


中西進によって考えてみよう。

「日本書紀」に比べて、「古事記」がより文学的であるという印象は、世に広く認められるところであろう。その理由の一つに、「古事記」がより多くの歌謡を含みもつという事がある。」


古事記の歌謡を数えてみた。

古事記は三巻に分かれている。

上つ巻は神代の時代

中つ巻は神武天皇から応神天皇まで。

下つ巻は仁徳天皇から推古天皇までである。古事記には飛鳥時代は書かれていない。


上つ巻は歌謡が8首。

中つ巻は歌謡が43首。

下つ巻は歌謡が61首である。ただし顕宗・仁賢・武烈・継体・安閑・宣化・欽明・敏達・用明・崇峻・推古天皇時代の歌謡はなく、歌謡は雄略・清寧天皇までである。

この歌を詠みつなぐと、古代は分かるとのことである。むしろ、歌謡によって歴史は伝承されてきたという事である。


「『古事記』全体を文学として扱うに至ったのは近代からであって、以前は歌謡だけを離して文学として扱ったという事実は、このことを明瞭に物語っているといえる。」…「歌謡と説話(神話・伝説)とが共存し融合しているという事は、実は簡単なことではない。本来両者は異質なものである」以上は(歌がたり)p60


古事記・日本書紀にいたって、歌謡と併せて説話が結び付けられて記述されたという事である。萬葉集は同時、もしくはそのあとに編集される。

「われわれは、この記紀とほとんど変わらない時代の作品として、「万葉集」という歌集のあることを知っている。これは歌のみの集であって、もし記紀が歌謡を融合させた散文とすれば、その散文的関心を、「万葉集」という次の時代に一挙に切り捨てたことになる。」p60


「記紀も万葉も、古代人はすべて歌をうたう人だった。結論的に言えば、記紀の説話は歌として伝承された。その断片的な歌々の集合が原形を形づくっている。という事である。」p60


「記紀万葉の歌は明らかに背後に物語を感じさせる内容や、題詞、配列のされ方を持っている。これは記紀風な語りを切って捨てて、歌だけを収録した結果で、歌を通って、記紀と万葉は一貫しているのである。」(歌がたり)p67


最後に、その万葉集の巻一の1に登場する雄略天皇の事である。

もとよりこの歌を、雄略天皇の歌と見る見方は多くない。

「初期万葉の人々は、古い時代のヒーローやヒロインを歌物語に仕立てて、好んで歌った。磐姫も雄略天皇も、そうした歌物語の主人公の一人々々である。」p89


「雄略天皇の歌と伝えるものも、元来はハレの若菜づみに女性に求愛する歌で、中央の名乗りの部分をかえながら、広く歌われた歌謡である。それが雄略天皇物語に応用されて、天皇役の歌い手が歌ったものだ。天皇や五世紀後半の英王で、「日本書紀」には、冷酷な行動が記されている。にもかかわらず、ここでは愛の物語の主人公となっていることが、これまた「万葉集」の出発にふさわしいのである。」(和歌と歴史)p89

「結婚というのは、正しくは生命力の付着なのである」(和歌と海波)p121

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ワカタケル大王(雄略天皇)の宮跡とされる脇本の春日神社あたり

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「『万葉集』の最初の出てくる歌は雄略天皇を主格に立てた求婚の長歌だが、湖の作詞者は、雄略をして自らの天皇たる位置を、声高に名のらせている。

 …大和の国は 押しなべて 我こそ居れ 敷きなべて 我こそ座せ…

と。これは、そう言挙げすることによって支配が確かになるという、古代言語の形式を踏んだものである。」(高松塚とその周辺)p226



万葉集の巻1と巻2には雑歌、相聞、挽歌すべてが入り、雄略天皇から始まり舒明(641年)、元明、元正天皇(719年)までが載せられている。


万葉集は仁徳、雄略天皇の歌なども載せられているが、実質的には舒明天皇(641年)に始まるが、雄略天皇の歌から始まるのは意識された編集者の意図があるとい指摘である。

雄略天皇が愛の物語の主人公として万葉集の初めに現れた。

雄略天皇が奈良時代の始めのころは「特別に意識されていた」と論じたのは岸俊男である。


万葉集の巻頭を飾っただけではなく、たとえば霊異記のはじめは山田道で雷を捕まえる話、その雷を放すところがいまの雷丘という話が一番にあり、それは雄略天皇に関る説話である。

雄略天皇がすごいのは、その足跡が現代につながることである。

「杖刀人の首と為り、奉事し来り今に至る。ワカタケル・・・大王の寺、シキの宮ワカタケル(雄略天皇)」と刻まれた鉄剣が埼玉(さきたま)の稲荷山古墳から出たこと、熊本の江田船山古墳から出た(東博に展示)大刀の峰には「ワカタケル 典曹人」と刻まれていたこと、雄略天皇の宮としての可能性の高い5世紀の遺跡が脇本(桜井市)で発掘されたことなど、雄略天皇は生きた時代はもとより、飛鳥・奈良の時代にも、現代も話題性たっぷりの英雄である。


話はそれたが、古事記には、雄略天皇(ワカタケル)の時代には、14首の歌謡が記録されている。

ワカタケルは面白い。ワカタケルは刺激的である。

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萬葉集發燿讃仰碑(まんようしゅうはつようさんぎょうひ)。白山比咩(しろやまひめ)神社


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犬養孝推奨の雄略天皇の宮跡。白山比咩神社の東側から登る。道は難しい。今では訪れれる人もなく、僕が昨秋に登ると、この標柱は腐って倒れていた。

参考は 『古代史からみた万葉歌』(学生社 岸俊男) 『鉄剣の謎と古代日本』(新潮社 シンポジウム) 

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by koza5555 | 2020-07-17 21:43 | 万葉の旅
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