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奈良・桜井の歴史と社会

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高安城(たかやすのき) のろし台

奈良県高取町の佐田タカヤマ遺跡に「のろし台」とみられる遺構を発見したと高取町教育委員会が発表した。

以下は産経新聞の報道である。

「奈良県高取町の佐田タカヤマ遺跡で20日に見つかった飛鳥時代の「烽(とぶひ)」とみられるのろし台跡(7世紀後半)。都があった飛鳥宮跡(明日香村)周辺ではほかにも火振山(ひふりやま)などの地名からのろし台跡と想定される場所が約20カ所存在する。複数のルートで都に連絡が届く重厚な情報網があったことが浮かび上がっている。」(2010122日)

「のろし台」なら、奈良県では高安城である。一度、見たいと考えていたが、良い機会だった。

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近鉄大阪線の山本から信貴山口へ。西信貴ケーブルで山上に上がり、高安城、信貴山城、信貴山朝護孫子寺を経るウォーキングである。

1105分 信貴山口駅発 近鉄西信貴ケーブル

1112分 高安山

1130分 高安城跡(高安山気象レーダー)

1140分 高安山(峰山三角点 487㍍)

1150分 高安城址倉庫礎石群 2号 3

1230分 信貴山城址(松永屋敷跡) 

1240分 立入(立てり)屋敷

1250分 信貴山城(空鉢護法堂)

1310分 信貴山城雌嶽地区(大和川水系ダム建築事務所1級基準点No2

1400分 信貴大橋バス停

(以上はウィークディのダイヤ)

始めに高安山気象レーダーである。

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高安城(たかやすのき)跡

 西暦667年天智天皇が対馬国金田城、讃岐国八島城とともに築造された古代の山城、白村江の戦後、百済領に進出した唐の勢力の侵攻に備えたもの。

 当時畿内の田の税である籾と塩を倉庫に貯蔵した城域は高安山から信貴山にかけての山地に広がる。

 大阪府側の急な崖は自然の防塁、高安山頂は高安烽跡、奈良県側の緩傾斜地には「高安城を探る会」によって昭和534月倉庫跡の礎石群が発見されている。 八尾市教育委員会

続いて、高安山の三角点に。

道標に従って歩くと

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高安城址倉庫礎石群


昭和53年(1978年)発見

奈良県平群町久安寺字金ヤ塚 奈良時代前期

 西暦660年、唐と新羅は連合して百済を攻め滅ぼした。救援を求められた斉明天皇や皇太子中大兄皇子は九州に向かったが、天皇は九州で急死、百済へ向かった日本の水軍も白村江の戦いで唐の水軍に完敗した。

 この緊迫した状況のもと、天智天皇は667年、近江大津宮に遷都、そのいっぽう、ここ高安山に高安城を築いた。対馬の金田城、九州大宰府を守る大野城や喜肄(きい)城、瀬戸内の屋島城などと並ぶ日本防衛のための大規模な古代山城である。

この高安城を1300年たっ今、高安城を探る会が倉庫礎石6棟分を発見、城の所在地を確認した。

高安城には築造後、畿内の田税(たちから)である籾と塩を蓄え、非常時に備えたが、672年の壬申の乱で倉庫は炎上、その後天武・持統天皇の時代に修復され、文武天皇の701年に廃城になったと、「日本書紀」や「続日本紀」に見える。

この倉庫跡は6棟の内の2号棟で、橿原考古学研究所が昭和57年3月に発掘した。この時、礎石の下から平城宮跡で発見されているものと同じ暗文(あんもん)入りの盤(大皿)や杯(つき)が多数出土した。この土器の年代から、これらの礎石は奈良時代前期、720年~730年代のものと判明した。3号棟も昭和58年3月に発掘され、同時期と判明した。ただ、ここでは礎石を取り巻く形に掘立柱裂がめぐっているのが発見された。

平成8年3月  高安城を探る会

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高安城の倉庫礎石群の説明板。2号と3号を見ることができる。よく草も刈られていて、見やすい。



by koza5555 | 2021-01-26 21:26 | 生駒谷
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