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奈良・桜井の歴史と社会

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『菅笠日記』、吉野から壺阪へ

250年前の話である。

本居宣長の一行は、六田で吉野川を渡り、一里(4㎞弱)ほど下って土田につき食事を済ませる。食事はおいしくなかったと書いている。


「そばきりといふ物をくふ。家もうつは物も。いとあやしくきたなげなれど。椎の葉よりはと思ひなぐさめてくひつ。」とある。

これよりつぼ坂の観音にまうでんとす。たひらなる道をやゝゆきて。右の方に分れて。山そひの道にいり。畑屋などいふ里を過て。のぼりゆく山路より。吉野の里も山々も。よくかへり見らるゝ所あり。

かへりみるよそめも今をかぎりにて又もわかるゝみよしのゝ里。

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畑屋の村の入口に掛け渡されている勧請綱


よしのゝ郡も此たむけをかぎり也とぞ。くだる方に成ては。大和の国中よく見わたさる。比えの山あたご山なども見ゆる所也といへど。今は霞ふかくて。さるとほきところ迄は見えず。さてくだりたる所。やがて壺坂寺なり。此寺は高取山の南の谷陰にて。土田よりこし道は五十町(5㌖ほど)とかや。二王門有て。普門観とかける額かゝれり。観音のおはする堂には。南法華寺とぞある。三こしの塔も。堂のむかひにたてり。奥の院といふは。やゝ深く入る所にて。佛のみかたどもあまたつくりなへたる。あやしき岩ありとて。みな人はまうづるを。われはいさゝか心ちなやましくて。え物せず。まへなる茶屋に入てためらひおるに。やゝまつ程へて。人々はかへり来て。有つるやうかたるをきけば。誠にあやしき物なりけり。

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畑屋(はたや)から山を越えるのである。考えていた田口とは違う。

畑屋で道を聞いた。「ここはハタヤ↑ですね」、「いや、違う、ここはハタヤ↓や」とか、言われながら聞くと、「昔は壺阪にいく道があった。去年は高取と大淀の教育委員会が歩いた」とかと、言われる。「壺阪の方からが歩きやすいが、目じる市がないわ」とのこと。

『菅笠日記』、全踏破は至難の技やなあ(笑)

畑屋は綱掛で有名らしい。12月の第三の日曜日に掛けるとのこと。「集会所で縄を綯う、雨が降れば農事作業所や。午前10時、集合」とのことだった。

畑屋からの道と平行に県道269号という道がある。壷阪寺、奥の院の五百羅漢から大淀町の田口に出る道である。これは滝があったり、金峯山寺に関わる道場があったりするのであるが、宣長はこの道ではなく、畑屋から壺阪に至った。

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269号線には「あんさん(安産」の滝」というのがある。県道沿いで流量は豊か。


宣長一行は、もちろん高取城にはいかない。行けるはずもない。僕はちょっと桜を見に登ってみた。満開だが、花見の人はいなかった。

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by koza5555 | 2021-03-30 21:26 | 橿原・明日香
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