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奈良・桜井の歴史と社会

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大和、豊山派大本山長谷寺の「暁天開帳」

かくて御堂(みどう)にまゐりつきたるに。をりしも御帳(みてう)かゝげたるほどにて。いと大きなる本尊の。きらきらしうて見え給へる。人もをがめば。我もふしをがむ。さてこゝかしこ見めぐるに。此山の花。大かたのさかりはやゝ過にたれど。なほさかりなるも。ところどころに多(おほ)かりけり。(『菅笠日記』より)

十一面観世音菩薩のご開帳のお話をしたい。

長谷寺、十一面観世音菩薩は常に拝観することができるが、大晦日の午後四時から元旦の〇時までは、御帳が下がっていて拝観することはできない。

繰り返すが、大晦日の一六時から御帳を閉める閉帳法要、〇時に開帳の法要が行われる。

一年に一度の閉帳で、これは菩薩様のお休みだろうか。

 

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これは、何時頃からの行事かと考えてみると…実は閉帳が本来の長谷寺の姿かとも思えるのである。

 長谷寺の歴史を綴る『初瀬寺験記』という物語がある。

聖武天皇が長谷寺を参拝するお話が出てくる。かいつまんで紹介すれば以下のとおりである。

聖武天皇は天平勝宝元年(七四九年)に退位し上皇となられる。上皇の夢に僧が出て、「長谷寺において三宝を供養し、後代の皇孫を祈るが良い」と告げる。天皇は『最勝央経』と『法華経』を書写、能筆にもそれぞれ一〇部を書写させて、長谷寺に向かった。それは七五三年の事で、十一月一八日に法要を行った。

その夜に観音様が上皇に夢で告げる。「濁った世の中の猛々しい衆生の心を和らげることができるのは女人である。私はこの身の光をやわらげて、女人の姿に身を現わし、久しく末代に及ぶまで国家を護り、衆生に利絵益を与えよう。ところで、いつもこの姿を見せていると、はばかりがある。皆に飽かれるから、自分の姿は御帳をかけて隠せ」が、観音様のお言葉である。聖武天皇の命により、長谷寺は御帳を掲げて十一面観世音菩薩を秘仏としたと『長谷寺験記』は語る。

観音様は秘仏、常に御帳がかけられているというのは、『験記』からの事かと思える。秘仏ありきで、上皇の夢占いは後講釈かとも思えるが、ここは『験記』のいう事を信じてみよう。「裏観音」を拝観するというシステムも、こんなところから生まれてきたのだろうか。

しかし、「観音様を拝みたい、直にお願いしたい」という声が出てくるのも自然の習いである。戦国の世を経て長谷寺再興(真言宗豊山派の創立)には、豊臣秀長の力が大きく働いた。「拝みたいものは金一枚を添えて」という、ご開帳の基準も豊臣秀長によって決められたという。

さて、お正月には「寅の刻、御帳をそろそろと卸奉れば」との記録もあり、朝の四時に開帳の儀式が行われている。夜明けの開帳で、これを「暁天開帳」と言うとのことである。ちなみにお正月の開帳時間は、明治からは午前六時に変わり、現在は大晦日の午後四時閉帳、元旦の午後〇時に開帳と変わっている。

人力で巻き上げる頃の御開帳はゾリッ、ゾリッと帳(とばり)が上がっていったと聞いたが、現在は電動で帳(とばり)はするすると上がる。観音様の出現を見逃さないためには、祈りを込めめつつ、凝視して注目していなければならない。

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by koza5555 | 2024-12-27 10:23 | 菅笠日記
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