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奈良・桜井の歴史と社会

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2012年 12月 09日 ( 1 )

ヤマトタケルの宮と陵

藤井稔(天理高校2部教諭)さんの講師で、あおがき古事記講座(桜井市公民館主催)の4回目が開催された。テーマは「景行天皇と倭建命(やまとたけるのみこと)」である。
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景行天皇宮、纏向の日代宮の碑

歌は「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隱(やまごも)れる 倭しうるはし」である。「作者は誰か、詠んだ場所はどこか、詠まれたヤマトとはどこを指すのか」という設問である。この設問の解き明かしの中から、ヤマトタケルが実在としたとして、その宮の場所が示される。
そしてヤマトタケルの御陵はどこかということである。現在、宮内庁は一つの墓、二つの陵を治定して管理している。

「やまとは くにのまほろば たたなづく あをかき やまこもれる やまとしうるはし」。古事記なら作者はヤマトタケルで伊勢の能褒野(亀山市)、日本書紀なら景行天皇で日向である。
いま一つ、「これは国ほめの予祝歌で、誰が作者というわけではない」という論もある。

古事記で論をすすめる。
景行天皇の宮は纏向の日代宮(まきむくのひしろのみや)である。
景行天皇が、皇子である大碓命(おおうすのみこと)が朝夕の食事に出てこないことを「たしなめ」るように小碓命(ヤマトタケル)に命ずるというくだりがある。ヤマトタケルは兄の大碓命の手足をもぎ取り、こもに包んで捨ててしまうという激しい「たしなめ」を行う。
これによれば、天皇、皇子が纏向の日代宮に同居していたということになり、「ここにヤマトタケルの宮があった」との論を立てられた。
したがって、ヤマトタケルが伊勢の能褒野で、「たたなづく青垣」と詠んだ山は、背面の巻向山一帯か、向かいの生駒、矢田、二上山、葛城山の連山ということになる。
藤井さんのヤマトタケルの宮の場所論は、今まで読んできた話、講演の中では最もしっくりした。
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日代宮から大和盆地、盆地西側の青垣をのぞむ。これが、ヤマトタケルの脳裏に最後に浮かんだ、「たたなづく青垣」だろうか
ヤマトタケルの宮、藤井稔先生の解釈、これは驚いたが面白かった。ヤマトタケルの御陵のことは、また折々書くこととします。
by koza5555 | 2012-12-09 00:21 | 桜井・山の辺 | Comments(0)