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奈良・桜井の歴史と社会

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2018年 10月 09日 ( 1 )

飯盛塚(桜井市)の秋祭りの主役はお人形さん

10月に入ると多武峰の飯盛塚(桜井市)は秋祭りである。

頭屋が祭りの段取りを立てる。御幣を作ることと、「お人形さん」を毎年作るのである。御幣とお人形さんを神社に奉納した後は、村人の全員(17軒のほぼ全員)が神社の境内に集まり、トンドを囲んで歓談する。

この形が昨年から変わった。2軒しかない頭屋のうち、一軒が頭屋を続けられなくなったという。村の相談の結果、頭屋の仕事は村(区)で引き継ぐことになったのである。

第一は御幣を作ること、御幣は区長が神前で三回、振る。祭りの後は区の会所で、来年の祭りまで、一年間は祀られる。

第二はお人形さん作り。

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こんな形である。太い藁、細い藁を組み合わせながらぐるぐると巻きあげる。中心は竹筒とのこと。一番うえ、頭の上にはヒゲをつけるが・・これは「蛇のヒゲ」で作るとのこと。

形が整ったら、竹筒には餅をいっぱい詰め込む。

最後に衣をつけて、「お人形さん」は完成である。

お人形さんであり、とぐろを巻いた蛇‥みたいな感じでもある。



神社へのお渡りは、お人形さんのように抱っこして上がられる。

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村人がトンドの周りに、即席ベンチを並べて歓談である。

老いも若きも、男も女も、そして子供もたくさん集まってくる。

ゴーヤの炊いたのとか、黒豆が特に美味しかった。


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この頭屋を務めてこられた方、そしてそれを引き継いだ飯盛塚区はすごい・・


飯盛塚には、藤原高光が葬られたとされる飯盛塚が残されていて、これが村の名前にもなった。

藤原高光は939年に生誕、比叡山に出家し、のちに多武峰に入り、多武峰上人と言われたとされる。994年に飯盛塚にて死去したとされる。

高光は歌人として有名だったが、多武峰にとっての最大の功績は、多武峰再興の祖といわれる増賀上人を勧誘したということである。また、『多武峰少将物語』を残した。

春すぎて散りはてにけり梅の花 ただ香ばかりぞ枝に残れる『拾遺集』

見ても又またも見まくのほしかりし 花の盛りは過ぎやしぬらむ『新古今集』

高光の墓地は村の東方の山地(飯盛塚の旧村社 杉山神社付近)に、五輪塔、宝篋印塔、廟塔が置かれている。

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宝篋印塔は天文元年(1532年)

廟塔は元文元年(1736年)

五輪塔は無銘だが最古とみられる。

飯盛塚の杉山神社旧社地辺り(飯盛塚字オミチ)は、高光の地縁の地であることは間違いない。


ちなみに、飯盛塚の地名伝承であるが、西行が関わっている。飯盛塚の東方の独立峰(杉山神社)が「飯を盛ったようす」と語ったことが初めとのこと・・。山の全貌は談山神社の大駐車場から見ることができる。

『桜井市史』、『談山神社 大化の改新1350年』(神社シリーズ)参照



by koza5555 | 2018-10-09 00:06 | 桜井・多武峰 | Comments(0)