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奈良・桜井の歴史と社会

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カテゴリ:桜井・多武峰( 70 )

八講祭

3月の第一日曜日は談山神社の氏子が集まって八講祭が行われる。

氏子といっても阿部あたりの氏子は関係がなく、多武峰の本来の郷中の大字の祭である。


今年は倉橋が担当だった。倉橋と倉橋出屋敷(赤坂天王山辺りをいう)がご奉仕された。

来年は多武峰(八井内・飯盛塚、)、次が下居(針道・鹿路)、横柿、今井谷。生田、浅古、下という順番で、8年に一度、回ってくる。


当番の大字から1老から5老と名付けられる5人の長老が選ばれる。村の役員はピシッと全員が礼服を着用する。

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神社の神廟拝所で斎行される。

はじめに、長老の手により、中央に鎌足公、右に定慧、左に不比等を描いた掛け軸が掛けら

れる。その間、謡曲「尾上の松」が謡われる。

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つづいて、脇立画が掛けられる。寒山拾得(かんざんじっとく)である。その間、謡曲「四海波」が謡われる。

献饌があり、祝詞の奏上である。

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そのあと、一老により、「談山権現講式」という、始祖の栄誉を称える祭文が読み上げられ、「南無談山大明神」の神号が10回、奉唱される。

撤饌、脇立、神影を下ろして祭は終わる。

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この鎌足公の御神影は、一年で、30分だけ公開されるのである。

以上、『桜井風土記』(栢木喜一)に詳細が記されている。

さらに栢木さんは、「八講とは八ヶ大字で営むからだといっているが、これはおそらく法華八講から来たものだろう」とも指摘している。

「民間でかくもていねいな行事が長く続けられてきたことがありがたい」…これが栢木さんの結論である。

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付論するが、

もともとは倉橋の金福寺(崇峻天皇陵の東)の八講堂で行われが、今は談山神社の神廟拝所で執り行われる。8年に一度の当番では村々では進行も忘れてしまっていて、現在は、神社の神職にノウハウが蓄積されている状態となっている。

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by koza5555 | 2018-03-04 21:37 | 桜井・多武峰 | Comments(2)

多武峰の参詣道と町石の道

談山神社の社報、第89号が発行された。本日、2月15日、桜井市の全紙の折り込みに入っている。
「談」の会の会員には、順次発送される。
僕は二面、一ページをいただいている。今回は「多武峰の参詣道と町石の道」をまとめてみた。
ずっと書きたいなと考えていたテーマで、それなりに納得のいくものが書けた。
紹介してみよう。

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一の鳥居から談山神社に至るまで一町ごとに、およそ100メートルを区切りにして町石が置かれている。呼び方は「ちょうせき」とも「ちょういし」とも言われている。

今回は、この町石に迫ってみた。

浅古の一の鳥居の脇には初町と刻まれた石塔があり、談山神社の入り口の摩尼輪塔(まにりんとう)の脇には第52町と刻まれた同型の石が立てられている。52基は順番に配置されていたことは明らかである。仏教では悟りに達するのには52の段階、修業が必要とされているが、それに対応して52基の町石が配置されているのである。修行は信心から始まり、念心、精進心というように進み、52番目の妙覚位は悟りを開いた境地とされている。

町石もこれにならい、一基ごとに「信心位 初町」、「念心位 二町」、と刻まれ、最後の52町石は「第五十二 妙覚位」とされている。町石を辿りながら参詣すれば、おのずから仏の境地に到達できるという道しるべとなっている。

桜井市史(昭和47年)に、この町石が紹介されている。また、12年ほど前に奈良国立博物館の研究紀要で『多武峰の町石』が取り上げられ、元興寺文化財研究所が県道拡幅工事に伴う調査を実施、『多武峰町石調査報告書』を、昨年に発表している。

町石には、40年前(桜井市史)、12年前(奈良国立博物館)、現在(元興寺文化財研究所)の資料があるわけで、これを比べてみると変遷は手に取るようにわかる。今日はそこらあたりを考えてみることにした。

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52基の町石は32本が現存している。町石には「承応3年(1654年)」の年号が刻まれていて、360年前のものであることは明確であるまた町石と対となっている摩尼輪塔はさらに古いもので、乾元二年(一三〇三年)、鎌倉時代の製作であることも判明している。
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摩尼輪塔は鎌倉時代、町石は江戸時代に作られた。作られた時期は大きく違うが、もともとは石製の摩尼輪塔と木製の卒塔婆という組み合わせとの論もあり、この卒塔婆を石製で修理したのが江戸時代だとのことである。
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屋形橋と東門の短い距離のところに第46町、第19町、それから第47町とあわせて3基おかれている。第19町は持ち込まれたものであるが、桜井市史によれば40年前は北音羽にあるとされている。12年前にはすでにこの位置に移動されたとされている。「どんな経過で移設したのか」と尋ねて回った。すると、「ここにあった。トラックに当てられ折れていた。道路拡張の時に置くところが無くなり神社が引き取っていった」とのお話を聞くことができた。「移設してから20年は経つよ」とのことである。

下区の大字内に置かれている第6町石に特別に注目したい。現在は完形ですくっと立っている。ところが12年前の調査では横倒しとなっていて、ワイヤーが掛けられ、いかにもどこからか引き上げてきた様子である。40年前の桜井市史によると、これは「亡失」となっている。江戸時代に立てられたものが40年前には無くて、12年前は横倒し、現在は立っているということである。この経過を下(しも)の前の区長さんにお聞きした。「昭和25年のジェーン台風で流されたと聞いている。川底から拾い上げた。それを平成22年に立て直した。再建の式典もおこなった」と言われるのである。

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江戸時代の初めから村人、旅人を見守ってきた町石、これはすごいが、同時にこれを守ってきた、そして今も大事にしている地域の人もすごいなということである。


一基、一基、よく見ていただきたい。文字が判読できるものもあちこちに残されている。
多武峰の町石は奈良県の指定文化財に、町石と対とみられる摩尼輪塔(まにりんとう)は、国の重要文化財に指定されている。

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ありがとうございました。

by koza5555 | 2018-02-14 23:17 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

談山神社 一日ウォーク

談山神社だけを一日かけて、ご案内するツアーを「やまとびとツアーズ」で、企画した。紅葉が始まる10月29日(日)である。

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「マイカーでもバスでも参加しやすいでしょう」で、今回は談山神社のバス駐車場(ふく屋前)に集合である。


 神社を徹底してご案内する。歴史と現在をつなぐお話をしたい。

 御破裂山にも今回は登ることとする。

明治維新の時、神仏分離のさいには「妙楽寺をこちらに残そう」ならと検討された、念誦窟(ねずき)にも訪れる。

やまとびとツアーズの募集パンフレットの紹介は以下の通りである。

◆「古くから国家の不祥事があると鳴動するという“御破裂山”」観阿弥・世阿弥の本拠地で、能楽の起こりと深い関わりを持つ“権殿”」「妙楽寺時代の僧侶が眠る墓所“念誦窟(ねずき)”

談山神社には、大化の改新談合の地・・・だけではない、複雑で深い歴史があります。本ツアーでは、奈良まほろばソムリエの会理事であり談山神社氏子総代も務める、雜賀耕三郎氏に1日じっくりと境内をご案内いただきます。そして、特別に日本唯一の木造十三重塔の初層開扉や正式参拝もしていただきます。

 今回はあえて談山神社のみで一日を過ごしていただく事で、より深い新たな大人旅をご提案いたします。

◆スケジュール

10:15 談山神社駐車場 出発 --- うすずみ桜 --- 入山 --- 東殿(恋神社) --- 三天稲荷神社 --- 拝殿(正式参拝) --- 十 三重塔(初層特別開扉) --- 総社拝殿 --- 神廟拝所 --- 1215社務 所(昼食) --- かたらい山、御破裂山 登拝 --- 念誦窟(ねずき)増賀 上人墓--- 西大門跡 --- 1515 解散予定

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◆ご旅行代金は

お一人様 5,980

(講師料、拝観料、軽食代、保険料、消費税込)

◆歩行距離

2km

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私がご案内いたします。ぜひ、おいでください。
申し込みは やまとびとツアーズ 0744 43 8205 まで



by koza5555 | 2017-07-18 21:43 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

談山神社と談山雅楽会

談山神社の社報は『談』(かたらひ)である。桜井市の全域での新聞折り込みと「談の会」(崇敬会)会員に郵送で配布される。
この社報の2ページ目が僕の担当で、7月15日号は、談山神社の神事に奉仕される「談山雅楽会」を紹介した。

談山神社の四季折々の神事には、雅楽の伴奏が欠かせない。

神事の始めは神職の参進(入場)である。この参進に合わせて厳かな雅楽の伴奏が行われる。神事がすすみご本殿の開扉となる。ここではしめやかに笙(しょう)が奏でられる。献饌、玉串奉奠、撤饌、閉扉、退下と進行に合わせて雅楽の演奏は続く。談山神社では、この雅楽を談山雅楽会がほうしする。

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「神事にあたり雅楽会の奏者がまず入場、整列して着席します。参列者のみなさんは、私たちの姿を見て、坐り直されたり、姿勢を正されたりするのです。始まるなという緊張感を共有できます。神職が参進、そこで演奏を始めます」と、談山雅楽会の松本永二郎代表が語られる。松本さんは「神さまは音楽が好きなんです。神様に喜んでいただきながら、神事の進行を支えるのが雅楽です」と、雅楽会の役割も説明される。


この談山雅楽会は平成7年に結成された。「雅楽を習いましょう。演奏しませんか」と談山神社が呼びかけて同好者が集まった。談山雅楽会としての形を整えて20年以上も神事の雅楽奉仕を務め、演奏力の向上のために練習を続けてきたのである。


笙を吹く久保順子さんは結成当時からの会員である。久保さんに雅楽への思いをお聞きすると、「何も知らずに雅楽を始めました。子供のころから親しんだ談山神社が、雅楽の奉仕者を求めていると知り応募しました。20年以上、笙を吹いてまいりました」と神社への思いを語っていただき、「みんなで雅楽の練習を重ねて、神さまの前に並んで一心に奉納の演奏をするのが好きなのです」と話される。

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       練習風景である

その言葉を受けて、松本代表は「談山神社は雅楽演奏の最高のロケーションです。ご本殿前の演奏があります。いつでも心が引き締まります。神幸祭と春・秋の蹴鞠祭での道楽(みちがく・歩きながらの演奏)もやりがいがあります。屋外ですから力一杯吹いても、音は空に散って行きます。力を込めて吹く、息は苦しいがやりがいのあるすばらしい経験です」と語られた。
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          松本永二郎 談山雅楽会代表

神廟拝所での雅楽奉仕は観音講祭だけである。江戸時代まではお寺の講堂として使われてきた神廟拝所の音響効果は抜群で、そのうえ、ここにはとっておきの壁画が描かれているのだ。上部欄間の壁画には笙(しょう)、鼓(つづみ)・太鼓などで天女が雅楽を演奏し、舞う姿が描かれている。こちらの神事では、雅楽会が演奏して音を出し、壁画の天女奏楽図も無音の演奏をするのです。「ここだけ、この日だけ」の感動を味わうことができるのである。


観音講祭は毎年、6月の第四日曜日、今年は終えたばかりだが、来年はぜひ訪れていただきたい。

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神廟拝所、壁画

もともと談山神社(妙楽寺)は能楽が生まれ育った場所とされる。中世から近世にかけての多武峰の猿楽(現在の能楽のこと)は、大和四座(金春・金剛・観世・宝生)が一堂に参勤する盛大なものだった。こちらでは毎年、新演目が披露され、これが猿楽の発展に寄与したとされている。

談山神社は音楽と芸が溶け合った芸能の地で、こんな場所で生また談山雅楽会、その演奏と活動に期待を寄せて、注目してゆきたい。

談山雅楽会が奉仕する談山神社の祭祀は以下のとおりである。

1月  福禄寿大祭  雅楽始め

4月  神幸祭と蹴鞠祭

6月  観音講と鏡大王祭

8月  献灯祭

10月  嘉吉祭

11月  蹴鞠祭と新嘗祭

神社外では三輪戎神社(初えびす)、等彌神社(大学ゆり祭)、與喜天満神社(初瀬まつり)、妙顕寺(大阪府)に奉仕している。

申し込みにもとづき各種団体、施設、学校、社寺などへの出張演奏も行う。

雅楽会は入会を、常時受け付けている。参加条件はなく、会費は無料。練習は原則第2・第4土曜日の午後、談山神社境内で行う。

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by koza5555 | 2017-07-16 05:50 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

うましうるわし奈良 談山神社

桜井市の多武峰、談山神社がJR東海の「うまし うるわし 奈良」キャンペーンに登場、名古屋以東で大々的にスポットライトを浴びている。
ポイントは世界唯一の「木造十三重塔(重要文化財)」と「青もみじ」。あわせて「如意輪観世音菩薩」(神廟拝所)や 国宝の「粟原寺三重塔伏鉢」の特別公開(拝殿)が行われている。

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拝殿の回廊にて


粟原寺三重塔伏鉢に注目したい。
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展示場の前には、訓読のパネルも示されている。

寺壱院の四至
東を限るは竹原谷の東の岑(みね)
南を限るは太岑
(西を)限るは樫村谷の西の岑
北を限るは忍坂川

此の粟原寺は、仲臣朝臣大嶋が持統天皇の時、草壁皇子の御為に、敬みて造れる伽藍なり故(かれ)、比賣朝臣額田、甲午の年を以て始め、和銅8年に至る合わせて廿二年中、敬みて以て三重の寶塔に七科の鑪盤(ろばん)を進上す仰ぎ願わくは、此の功徳により、皇太子の神霊、速やかに菩提の果を証せんことを

願わくは七世の先霊、共に彼岸に登らんことを
願わくは大嶋太夫、必ず仏果を得んことを
願わくは合識に及ぶまで正覚を成さんことを


草壁親王の追福の為に仲臣朝臣大嶋(中臣大嶋)が誓願し、甲午(694年)年に比賣朝臣額田の手で着工し、和銅8(715)年に伽藍が完成。伏鉢を三重宝塔の相輪の第7層にこしられたと記されている。

この伏鉢、通常は奈良国立博物館で展示されているが、現在は談山神社の拝殿に展示されている。「うましうるわしキャンペーン」中の7月31日までの展示である。

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大和国粟原寺三重塔伏鉢(和銅8年 715年と明示される)


近くで見られる、写真が撮れるで、こんな得難い機会はめったにない。
この夏、ぜひとも談山神社にお出かけください。

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如意輪観音像
6月25日(日)、午前11時から観音講祭が開催される。
多武峰、妙楽寺は明治初期の廃仏毀釈の嵐のなか、数多くの仏像がことごとく流出、廃棄されてしまったが、そのなかでも残された仏像が、神廟拝所に置かれている如意輪観世音菩薩である。残された経過が不明で、公開もされてこなかったが、今年は7月31日までは公開となっている。
談山神社はこれを公開して、現在は祭も行っている。第四日曜日の開催で、今年は25日となる。談山雅楽会の奏楽もあり、楽しみである。今年はうかがうこととしている。みなさんも、ぜひ、おいでください。

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by koza5555 | 2017-05-28 23:04 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

南朝 戒重西阿と良円

外鎌山に登ると「南朝忠臣 西阿公之墓」という碑がある。
しばらく前から倒壊していて、こんなふうに寝かされている。
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桜井市の全域で南北朝が激しく闘った史実が残されている。
南朝軍の西阿、子息の良円などが戒重と河合に城を築き、外鎌山、鵄(とび・鳥見山のことか)、赤尾の山城・砦の記録がある。
一方、北朝軍は釜口(天理)に進駐し、さらに細川顕氏は阿部山に陣をしき、南北朝は入り乱れて(阿部山は戒重・河合の南方に当たり、いわば吉野との連絡路が閉じられる形)桜井市全域が戦場となったことが分る。

1337年に三輪西阿は櫟本(天理)にて北朝軍とたたかう。
1340年には北朝軍は開住(かいじゅう)西阿を討つために出兵。西阿は大仏供庄(大福)の年貢を横領。
1341年2月、幕府は西阿追討軍。釜口を奪い、阿部山に陣をしいた
     4月に河合城陥落、7月2日戒重城陥落、西阿らは外鎌山城に移り抵抗したが3日に陥落。
1347年、楠正行らは、出陣の前に後村上天皇に面会、西阿も同席している。「・・・楠将監西阿子息開地良円以下・・・」と太平記巻10に記されているのである。
同年、親子ともども 四条畷戦死した。

西阿を祀った碑は外鎌山に立てられたが、それは昭和45年のことである。

桜井市の粟殿(おうどの)の墓地には、西阿の子息、良円を祀る五輪の塔が建てられているのである。桜井市史の上巻942ページ
「為菩提亡父良円房・・・・・・・正平3年(1348年) 正月五日  願主尼良妙」
とあるらしい。(僕には全然読めなかったが・・・)

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良円を祀るという五輪塔


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戒重城の濠の跡。戒重城は江戸時代の前期に140年くらい織田藩が陣屋として使用、織田藩が芝村に移って廃城。しかし河合城、戒重城ともども明治20年頃までは大規模に濠が残っていたらしい


こうして考えてみると、南朝を助けた桜井(現在)の関係者は多かった。多武峰は無論のこと、三輪、長谷寺なども含めて多くの国民、地侍もその戦いに巻き込まれていったのである。
by koza5555 | 2017-02-03 00:05 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

2月のウォーキングは忍坂(忍阪)

「忍坂山(外鎌山)からの眺望を楽しみ、王家の谷を歩いてみよう」をテーマに、2月22日(水)にウォーキングを案内します。

外鎌山に登ります。奈良盆地南部の素晴らしい眺望が楽しめます。標高は292メートルですが麓からの標高差は150メートルです。

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2月1日の忍坂の山からの眺望。大和三山、二上山、奈良盆地南部が一望できる

「こもりくの 泊瀬(はつせ)の山 青旗の 忍坂の山は 走出のよろしき山の 出立の くはしき山ぞ あたらしき山の 荒れまくおしも」(巻13-3331)と万葉集にも歌われた忍坂の山(外鎌山)に登ってみましょう。

石位寺で白鳳時代の薬師三尊仏(重要文化財)を拝観します。
また、舒明天皇陵、鏡王女墓(談山神社)を見学し、大王級の赤坂天王山古墳の横穴式石室を体験します。
最後の忍坂坐山口神社を参拝、境内の楠の巨樹に力をいただくというマルチのウォークです。ぜひぜひ、おいでください。

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忍坂坐山口神社の大くすのき

■実施日    平成29月2月22日(水)雨天決行
■集合時間午前10時 
■集合場所   近鉄大阪線大和朝倉駅 改札前
■コース(歩く距離約8km程度。小さな山ですが山登りもします)
朝倉台駅(集合10:00)w.c.→11:00 外鎌山頂上 → 11:30 鏡女王墓 → 舒明天皇陵→ 神籠石 → 12:00 石位寺w.c(昼食)→ 14:00 赤阪天王山古墳.→ 14:40玉津島明神 → 15:00 忍阪山口神社 → 15:30 朝倉台駅(解散)
■持ち物  弁当、水筒、帽子、雨具をお持ちください。小雨は決行ですが、コース変更をする場合もあります。※歩きやすい靴でおいでください。
 大和朝倉駅前(集合場所)では、弁当を買うお店はありません。必ず事前にお弁当を用意してください。

■参加費  1200円【拝観料300円(石位寺)、資料代含む】

申し込みは 大人の学校の溝口さん(メール)まで hiromi-03.30@kym.biglobe.ne.jp
もしくは   kozaburo@cg8.os-net.ne.jp

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赤坂天王山古墳、このウォークは横穴式石室に入ります。汚れます。覚悟してスラックスやジーンズを用意してください。
今日は一人で入りましたので、自撮りです(笑)
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by koza5555 | 2017-02-02 00:05 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

サッカーのルーツは蹴鞠

談山神社の社報は「談(かたらい)」という。A4の4ページ。
長岡千尋宮司から、「雑賀さん、かたらいに書いて。一ページまるまる」と昨年の夏ごろに話があった。

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今回の「談(かたらい)」のトップ

最近は一年に2回の発行だが、発行部数が2万5千以上で、これはやりがいがありそうである。
第一回目は、蹴鞠を書くことにした。昨年の9月には東京での講演のおり、お茶の水の日本サッカーミュージアムも見学しており、準備はバッチリである。

こんな文章となった。

談山神社は春と秋、けまり祭を行う。境内の一角に青竹を四隅に立てた鞠(まり)庭でけまりを奉納する祭である。

鞠(まり)を順次蹴り上げ、地面に鞠が落ちると中断となる。演技の連続が面白みで、ラリーが続くと歓声や手拍子の応援も出て、静寂な談山神社はいつになく沸き立つ。一つの鞠を落とさぬように、鞠庭にいる全員が心技を一体にして蹴り続ける。背筋を伸ばした優雅な姿勢で蹴り続けて勝負を競わず、相手が受けやすい鞠を打ち続けることが上手と言われている。
演者の男女は平安時代の貴族のような装束に身を包み、「アリ」「ヤア」「オウ」の三声を掛けあいながら蹴り回す。青壮年は若さの力、老境は円熟の面白みで、年齢、性別に関係なく楽しめる。

今日は蹴鞠の鞠のことを紹介したい。鞠は白く塗り上げられた鹿革製で、中空となっていて、重さはサッカーボールの三分の一ほど、120g程度で整えられている。


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蹴鞠のマリ

この鞠作りをする人に、桜井市の藤田久沙夫さんがいる。
藤田さんは「鞠は二枚の鹿革で作ります。つなぎ合わせた革袋の中に麦を詰めて形を整え、白く塗り、穴から麦を抜きとって中空の鞠に仕上げます」と作り方を説明される。さらに「10年がかりの試行錯誤の末、やっと納得のいくものができました」と古典芸能を支える鞠が作れたこと喜びを語ってくれた。

 藤田さんの作った鞠は、談山神社により、日本サッカー協会に贈られて、東京の「日本サッカーミュージアム」(東京都文京区本郷)、「ボールゲームの歴史」コーナーの一番初めに展示されていて、「寄贈 談山神社 桜井市多武峰」と記されている。
 解説では「古代中国の周の時代(紀元前1100年頃~紀元前256年頃)には、皮を繋ぎ合わせ 毛をつめたボールを使った球技がありました。
この球技はのちに日本にも「蹴鞠」として伝えられ、主に貴族の社交上の遊びとして楽しまれました。蹴鞠とは、革製の鞠を蹴り上げ、地面に落とすことなく蹴る回数を競う遊戯です」と紹介されていて、FIFA(国際サッカー連盟)のプラッター会長が、世界のサッカーの発祥はこの蹴鞠だと宣言したことが紹介されている。

 「蹴鞠がサッカーの始まり」、サッカー協会はそんな展示をしているのである。


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展示の説明。右下に談山神社寄贈の実物のマリが展示されている


『日本書紀』は、「中臣(藤原)鎌足は専横を極める蘇我蝦夷、入鹿の親子の打倒を考え、中大兄皇子(天智天皇)に近づこうと考えた。法興寺(飛鳥寺)の槻の樹の下で皇子が鞠を打つ、そのとき沓が抜け落ち、鎌足が拾った。ひざまずいて差し出す、皇子もひざまずいて受け取った、と記している。
鞠を打つという言い方は微妙だが、「鞠を打つ、沓が抜け落ちる、拾う、差し出す」という一連の動作からは、現在の蹴鞠の姿を感じ取ることができるのではなかろうか。

談山神社の春のけまり祭は4月29日(昭和の日)、秋のけまり祭は11月3日(文化の日)、いずれも神廟拝所西の「けまりの庭」で行われる。

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年に3000円の会費で「談の会」の会員になっていただけると、こんな社報が届き、同伴2名までは入山が無料になるという、年間パスがいただける。とてもお値打ちで、入会をおすすめしたい。
お問い合わせは、談山神社、電話は0744 49 0001である。

by koza5555 | 2017-02-01 00:09 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

ムジークフェストなら2016

「音楽で、奈良を元気に」・・・6月11日から音楽祭「ムジークフェストなら2016」(五回目)が始まった。二週間の奈良のあちこちが様々なジャンルのコンサートのてんこ盛りである。
なにしろ300ものコンサートが開かれる。毎年、いくつかのコンサートを僕も楽しんできたが、こともあろうに今年は「出演」である。

もちろん、音楽で舞台に立つわけではなかった。
数多くの社寺でもコンサートが開かれる。この社寺会場のコンサート前に、その社寺を解説するという企画が今年から始まったのである。談山神社、大神神社のガイドを引き受けた。

12日に談山神社を案内した。お客様は桜井駅から送迎バスで到着する。

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緑に埋まる多武峰・談山神社

その前(コンサート前)に、この神社をご案内したいと思います。演奏の前に神社を見ていただきたい、荒井知事の肝いりで、バスも出しましょう、ガイドも用意いたしますということで実現した企画です。
 これはムジーク、初めての企画、今日がその初めの始めです。奈良テレビの取材も入りました。僕も力入れます。皆さんも一緒に楽しんでください。

およそ準備も済ませたところで、ソムリエの会の鉄田専務理事から電話が入る。「ガイドツアーの始まりということで、奈良テレビの取材が入るから、よろしく」である。
緊張もしますが、燃え上がります。
このガイドを引き受けたソムリエの会の責任、談山神社の氏子総代の責任が一石二鳥で果たせる

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そんなこともあり、今度の案内は神社そのものの成り立ちを語る。

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さらに場所を変えて、談山神社が芸能と音楽の歴史の宝庫であることを語らせていただいた。

こんなガイドぶりを奈良テレビが取材、ガイドとしての奈良県への思いも熱く語らせていただいた
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奈良テレビ「ならフライデー9」。放送日は6月17日(金)午後8時57分~「ならフライデー9」(午後9時から)である。
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6月11日から26日までの「ならムジークフェスト2016」、今からでも間に合うコンサートがあります。こちらでお確かめください。 

by koza5555 | 2016-06-14 07:05 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

ムジークフェストなら 2016 談山神社

談山神社、実は音楽と芸能の歴史の宝庫である。
重要文化財に指定されている神廟拝所(妙楽寺の講堂)、この上部欄間には素晴らしい天女奏楽図の壁画が描かれている。

笙(しょう)、鼓・鉦鼓(つづみ・しょうこ)、太鼓などを演奏する天女が描かれている。平等院の雲中供養菩薩を連想していただきたい
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天女奏楽図が残されている神廟拝所。堂内の撮影はできる


さて、6月12日(日)談山神社の権殿(祈祷所とも、妙楽寺でいえば常行三昧堂)にて、ムジークフェストならのコンサートが開催される。

今年の談山神社はチェンバロの演奏である。モーツアルトが小型ピアノみたいな楽器と共に演奏会場に馬車で駆けつけるという画面、映画の「アマデウス」に、確か、ありました。
あの「小型ピアノ」、このチェンバロを中野振一郎が演奏するのである。豊かな表現力で、、日本を代表する名手である。
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チェンバロ


この権殿は江戸時代までの妙楽寺当時は常行三昧堂、こちらが大和の芸能のメッカである。
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維摩八講会は平安時代から続く、多武峰の重要な法会であった。その中日二日間に神事として行われていた八講猿楽は、大和四座(金春・金剛・観世・宝生)が一堂に参勤する盛大なものだった。毎年、新作を一番は入れることなっていて、ここでの初演で好評だったものが、奈良や京都で演じられた。(道成寺など)今日まで伝わっている能もある。
絶世の美少年だった世阿弥は、多武峰の保護を受け京都に出て、将軍義満にひいきにされ、大和四座とは違った精神性の高い能を確立した。
多武峰は今日の能楽の揺籃の地だったと言える。

「多武峰様猿楽」とよばれる猿楽は、実際に馬や甲冑を使うという野趣あふれるもので、都の貴族や武士を驚かすに十分なものであった。この演出は延年の影響を受けたものとされている。延年とは正月修正会の後に、お坊さんが行う余興のことで、・・・多武峰の延年は山内の僧兵らが自作自演したもので、全国最大規模とされ、1515年からの70年間の演目台本が現存している。 「雅楽の奈良を歩く」(実業印刷(株) 笠置侃一監修)から

ムジークフェスト・・多武峰、お客様の多くは貸切のバスで談山神社に到着する。
到着時間は演奏会場の開場の40分くらい前で、到着した後は、僕が談山神社の縁起、境内の案内をさせていただく。


ムジークフェストのお客さまだから、・・西洋の古典的な楽器の演奏だから・・日本の多武峰の音楽と芸能の歴史を今回はとくに力を入れて紹介したい。
by koza5555 | 2016-05-25 18:33 | 桜井・多武峰 | Comments(0)