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奈良・桜井の歴史と社会

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カテゴリ:古墳( 24 )

橿原考古学研究所で「桜井茶臼山古墳出土木棺」展

博物館が改修のために閉館中(昨年12月から。少なくとも来年の春までは開かない)の橿原考古学研究所が1階アトリウムにおいて、茶臼山古墳の木棺を展示している。初公開である。

8月21日(水)から1031日(木)までで、月曜日~金曜日(土・日・祝祭日を除く) 8:3017:15である。

橿原考古学研究所、初めてだとチョット入りにくいが一回のロビー(アトリウム)は出入りが自由である。

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橿考研は、2009年に桜井茶臼山古墳を発掘調査している。60年ほど前に発掘されているが、残っていた木棺を取り出して保存処理を行うことを目的としての再発掘調査である。現地見学会も行われた。竪穴式石室内部は水銀朱で真っ赤、天井石の鮮やかな朱色は今でも記憶に残っている。

この時に取り出された木棺が展示されるとのことで、早速拝見してきた。

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材質はコウヤマキである。

「杉と楠は舟を作るのに良い。檜は宮を作るのに良い。マキは奥津城の棺に使うのが良い。そのために山に木々の種をまこう」と、スサノオが言うくだりが日本書紀には書かれているが、見事、その通りである。

杉及び樟、此の兩の樹は以ちて浮寶と爲すべし。檜は以ちて瑞宮(みづのみや)の材と爲すべし。柀は以ちて顯見蒼生(うつしきあおひとくさ)の奧津棄戸(おきつすたへ)に將(も)ち臥(ふ)さん具(そなえ)と爲すべし。

橿考研による2度目の調査で木棺を取り上げ、約2年半かけて内部の水分をPEG(ポリエチレングリコール)に置き換える保存処理を施した。

木棺はコウヤマキ製。腐朽と盗掘で原形は失われているものの、底の部分が残り、その長大さが分かる。蛍光X線分析では表面から水銀が確認され、水銀朱が塗られていたとみられる。た。(橿原考古学研究所HPから)

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20091029日に現地説明会だった。桜井駅から桜井茶臼山古墳まで、人並みは途切れなかった・・と言っても言い過ぎはなかろう。

付け加えると、同年、月が替わった1114日に「纏向遺跡の居館域の調査(纏向遺跡166次調査)」で大型建物の柱穴、建物の現地説明会が行われている。この説明会も別の場所で集合、200人くらいのまとまりで現地に案内されるという説明会だった。

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この二つの現地説明会は、僕の人生のその後に、ちょっとインパクトを与えた。

さて・・橿原考古学研究所のアトリウム展、ぜひ、おいでください。

2009年の現地説明会の資料と同じものがいただける。『橿考研通信』のバックナンバーなんかも置いてある。

古墳が好きになるチャンス、奈良を見直すチャンスである。


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by koza5555 | 2019-08-23 09:35 | 古墳 | Comments(0)

森浩一著作集 ① 古墳時代を考える

森浩一著作集が刊行されている。5巻までで、内容はどちらかといえば初期著作集だった。
僕ごときでは歯が立たないが、少しつづ、面白そうなところを。

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これは新沢線冢古墳、群衆墳。このご本とはあまり関係ないけど。

第一巻は「古墳時代を考える」である。「古墳時代の展開と終末」のうち、「古墳と古墳群」。1952年に古代学研究6に掲載されたものとのことである。
これがおもしろかった。古墳の在り方、とくに群集墳の検討から古代を探ろうという狙い。65年も前の論文で森先生も若かったと思う。

美濃波多古墳群が紹介されていた。三重県の名張にある。美濃波多古墳群は現在は美旗古墳群のことである。

ウィキペディアによれば
古墳時代の前期から後期にかけて、地域を支配した有力者によって築造され、伊賀地方で最大規模の古墳群が営まれている。現存しているのは、5基の前方後円墳と横穴式石室を持つ円墳1基、方墳1基で、カブト塚・矢羽塚・玉塚などの方墳と円墳の多くは消滅している。

森先生の古墳と古墳群では、こんな図面が用意されていた。
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古墳時代の史料化にあたっては古墳群の研究が必要とされて、初めに取り上げられたのが、美濃波多(美旗)古墳群だった。

前方後円墳の馬塚(うまづか) は盆地のどこからも見える。
問題は図面にある8基の古墳が「各期の代表的な形態を示していると言いえるほど、その相互間に顕著な相異をもっている」とし、地図の番号順に①殿塚、②女郎塚、③毘沙門塚、④馬冢、⑤玉塚、⑥王冢、⑦横穴石室の順で構築されたと論じられている。

古墳群を形成する8基の古墳は、築造時期が均等な時間で前後を持っている。
一時期に固まって築造されたのではなく、順次作られて古墳群になった。
40年ごとの築造・・という間の時間も明確にされて、一世代一墳、一氏族によって構築されたとするのである。

美濃波多(美旗)盆地は300町歩(300ha)で、これがこの氏族の経済力である。
なるほど。古墳時代・・300年くらい、大和と伊勢・東国との交通路の要地で40年ごとに古墳を造っていた氏族の暮らしぶり・・・

森先生は群集墳問題でさらに三島野古墳群を取り上げる。
同じように10基ほどの古墳で古墳群が形成されている。

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三島古墳群も古墳の形態から一世代一墳とみられるが、⑨茶臼山、⑩今城冢と巨大前方後円墳が築かれる。
 もともと大きな富裕の地を支配した氏族が考えられるが、全長223メートルの茶臼山古墳、312メートルの今城冢古墳は大飛躍である。「氏族団体の占有地域は急速に拡大した」とみるべきとされる。氏族から地方レベルということだろうか。
この地方レベルに拡大されていく過程と合わせて、継体天皇が位置づけられるとしている。

森浩一の結論・・「継体天皇は三島野古墳群によって表される氏族団体から抜擢されたことが考えられるのであり、中期の茶臼山古墳の規模からみて、すでにそれにふさわしい実力を備えた強力な氏族団体となっているのである。


奈良盆地内にも巨大古墳と群集墳の存在している。行燈山古墳、渋谷向山古墳と竜王山古墳群、鳥屋ミサンザイ古墳と新沢千塚、室宮山古墳と巨勢山古墳群などであるが、これらは巨大古墳が先行するのであるから、三島野とは条件が全く異なっている。

大和の場合は、巨大古墳に葬られている盟主をしたって、付近の山・谷に大量の群集墳が設けられたとみるべきだろうか。

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新沢千塚古墳群と桝山(現 倭彦墓)・鳥屋ミサンザイ(現宣化天皇)古墳
『巨勢山古墳群と室宮山古墳』(歴史に憩う橿原博物館講演・・白石太一郎)より


森浩一 著作集第一巻。古墳時代を考える
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by koza5555 | 2016-11-29 21:27 | 古墳 | Comments(0)

開化天皇 「御陵はイザ河の坂の上にあり」 

突然、奈良市の開化天皇陵でお話しすることになった。
まほろばソムリエの会の内部勉強会だが、「大阪あたりの古墳好きのお客様を相手にするような話を」というリクエストである。

開化天皇陵、あまり写真も撮ってないのである。
あわてて勉強してみると・・・・これがなかなか面白い。

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ホテルフジタのレストランから見る開化天皇陵


奈良の町、南北なら東向きに餅飯殿で、東西なら三条通、これが奈良のダウンタウン。この三条通りに面している奈良市中心部に位置する古墳である。
奈良で、「古墳をすぐ見たい」と聞かれたら、まずはここ・・・?
「少しの時間があれば、佐紀盾列(さきたてなみ)古墳群、ウワナベ・コナベ古墳などで古墳の良い景色が見られる」ぐらいで、開化陵は軽くみていたが・・・


こちらは、第9代 開化天皇陵に治定されている。
長さが100メートル、後円部は径48メートル、高さが8メートル。
春日山の西麓が伸びた、稜線とまでは言えないが、南は率川で少し低地。
古事記が言うように、開化天皇は「御陵はイザ河の坂の上にあり」で、ここしかないという感じである。
 
古事記や日本書紀で見れば、「開化天皇陵、この古墳をイメージしたな」で決まりである。

延喜式では東西五町、南北五町で広くて、在郷が10軒とある。
元和年間(1520)に、念仏寺ができて、境内に取り込まれた。どうもお墓がもあったようであるが元禄の検討で陵として管理されることになり、文久三年の修陵で古墳内のお墓は移された。

「葬られている開化天皇とはだれ?」もテーマになる。
和名は「稚日本根子彦大日日尊」(わかやまとねこひこおほひびのみこと)(書紀)である。

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江戸時代の絵図面はこれ。奈良市史考古編に載っていた。

さて、この古墳は本当に開化天皇が葬られていれば、「前方後円墳」で葬られた始めの天皇となる。
開化天皇は西暦換算だと紀元前100年ころ、ところが古墳は5世紀前半のもので500年位違うのである。
宮内庁が開化天皇陵と決めたが、科学的根拠が乏しいという指摘もあり、念仏寺山古墳とか坂の上山古墳(森浩一)などとも呼ばれている。


神武天皇に始まる皇統だが、2代の綏靖から9代の開化天皇までは、日本書紀の記述が即位、宮、皇后、親、子供、崩御、陵という形できわめて簡略、本当にいたのか、欠史8代というような言われ方もしている。
そして、これらの陵は御所・橿原に集中していて、開化天皇陵が突然奈良に現れたりするのである。
ここらあたりがどんなことだったのか、思わせぶりで申し訳ないが、ここは楽しく語れるだろう。


第9代はこちら奈良
第10代は崇神天皇で大和
第11代は垂仁で奈良
第12代は景行で大和
第13代は成務で奈良・・これは佐紀盾列古墳群
第14代の仲哀天皇は河内、皇后は神功皇后で奈良
第15代の応神天皇は河内の巨大古墳

よく見ると、陵は一代ごとに奈良と桜井の間を行ったり、来たり…これは何をあらわすのだろうか。


開化天皇陵の前でしか、話せないことがたくさんあることもよく分かった。
古墳好きなら最高。古墳嫌いでも、まずまず行けそうという感じである。
話は明日だ。元気に楽しく語るつもりだ。

参考文献は奈良市史の考古編である。

by koza5555 | 2015-09-21 00:30 | 古墳 | Comments(0)

インフルエンザA型

前回のブログを書いた直後から、力が入らないというか、何とも言えない体調不良となり、N先生の診察を受けた。
「いやあ,忙しすぎるんだよ。はい、はっきりブルーの線が出ました。A型ですよ」と告げられ、「五日間は禁則ですよ」の宣告である。
「参ったなあ。先生にワクチン打ってもらったの」とぼやいてても、事態が変わるわけでもないし・・

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ブルーノ線、あまりはっきり見えないが先生には明瞭だそうである

5日間、静かにしてました。
民生委員の定例会議、下見(3月の初瀬研修)をお断りしをたが、幸い、ツアーや講演が切れていた一週間だったので、そういう迷惑はかけることなく乗り切れて、それは不幸中の幸いだった。

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なんとか、インフルエンザは乗り切れて、お世話になったリエンザも最後の一枚を吸い切ったが、さきほどから激しいクシャミを連発。ここで新たな風邪は困るので、今日はこれでお休みです。

「どうしたの?」と心配をかけましたが、そんな具合でした。
今後ともよろしくお願いします。
by koza5555 | 2014-02-23 22:19 | 古墳 | Comments(0)

英検一級にあっちゃんが合格

あっちゃん(妻)が執念を燃やした英検一級、今日の合否が発表されました。

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合格しました

11月は朔日に大神神社を参り、久延彦神社にお願いをしてきていたのである。
結果が分かったのは午後4時だったが、さっそく訪れた。

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「合格御礼の絵馬」を献じた。そして一日の「祈願の絵馬」を探し出して写真を撮ってきた


あっちゃんは5年ほど前から英検の受験を始めた。
中学生に交じって三級、さらに準二級、そして二級。さらに準一級ととんとんと合格を重ねたが一級でつまづいた。

あっちゃんは大学は国文、そして昔の勉強だから、とにかくリスニングとアウトプットがひどいのである。
50歳からの昔の勉強だから発音がひどくて、その修正にも努力したが、単語力とか、文法とか、論理立てで徹底的に頑張った。
そして、一次試験で9回(年に三回だからまるっと3年である)泣き、10回目で晴れての合格だった。

したがって当然のこととして、面接と対話の二次試験がこれまた苦しかった。
一次試験に合格すると、二次試験に向けて、一次試験が4回免除される。今回はその最後の4回目だったのである。
「努力が通ずる」と思えた合格である。

あっちゃんも、「足をとらえ立ちすくむ」ような英検の受験経験であったが、いよいよ新たな一歩を踏み出せることができた。

ありがとうございました。
今日はまったく夫婦の話ばかりだった。久延彦神社から眺めた金剛山、葛城山の夕陽が美しかった。
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by koza5555 | 2013-11-19 22:35 | 古墳 | Comments(6)

習字を初めて2年。今日は伊藤左千夫である

僕にとって火曜日は習字の日である。一週間に一日だけ、午前中は家で書いて、午後、先生のところで添削を受ける。
今日は「おりたちて  けさの寒さを おどろきぬ つゆしとしとと かきの落ち葉深く」で、伊藤左千夫である。あの政夫と民子の「野菊の墓」の左千夫である。
かな文字の練習で歌を書くようになり、歌の勉強はだいぶしたことなるが、文字は前途遼遠である。

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一昨年の8月に習字を始めた。
とにかく僕は悪筆・乱筆である。
仕事をしていたころ、みなさんに「あなたの字は読めない」と何度も言われたし、自分のノートが自分でも往々にして読めなかったのである。

年相応の字が書きたくて、念願の習字をこの年になって始めた。
練習は週に一日だけ。遅々として書の進歩はなく、この道はなかなか厳しい。

最近も習字の先生から激励を受けた。それは「初心忘れることなかれ」であり、さらに昨年の年賀状には「習字以外(習字教室でも万葉故地などの見学の案内をしている)のことで力になって下さい」だった。

進歩のない僕を心配しての習字の先生の心配りだったが、石の上にも3年で、あと一年はがんばってみようと心に決めている。
by koza5555 | 2013-10-22 21:25 | 古墳 | Comments(0)

ダイエットとウォーキングタイツ

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こんなタイツとシャツを買ってきてウォーキングに汗を流している。

8月からダイエットに取り組んでいる。
5年ほど前にレコーディングダイエットをやったときは空腹との戦いであったが、劇的に体重は減っていった。
その後も、頑張ってきたが、4年かかりでだいぶ体重が戻ってしまった。

そんなこともあり、8月12日から、ダイエットを再開、今回はよく歩いてはいるけど、基本的に食事制限はないので、やはり効果が出ない、なかなか体重が減らないという状況にある。

そして、夏の間は半袖とTシャツ、ハーフパンツで歩いていたが、急に寒くなってきている。

ダイエットの効果が出ないことにあっちゃんは業を煮やして、ここで、「やる気は恰好からだわ!」と、今はやりのウォーキングタイツを買ってきた。

うーーん。


とりあえず、今晩からはこの格好だ。シャツは腕を組んでいるが、ウォーキングの時は腕は組まない(笑)・・・
by koza5555 | 2013-09-29 22:54 | 古墳 | Comments(0)

夏休みの宿題は木工と習字

例年のことであるが、孫の夏休みの宿題、課題は難関である。
二点必要である。

今年は木工と習字となった。
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出来上がったイヌ。わが家のダックスフント、久遠がモデルである

昨年は木工と作文。
いつも木工が入る。
「もういいじゃないか」というのだが、木工所の娘として育ったあっちゃんには木工への執念があるのである。

夏休みに入ってから、材料になりそうな木切れをあれこれ拾ってきていた。
そんなとき、植木屋さんで伐採してきた棕櫚を見つけたのである。
振り返ってみてみると、大きな棕櫚をかかえて、あっちゃんと孫がニコニコと笑いながら歩いてきていた。

構想はそれからだったが、棕櫚の幹の肌ざわりからダックスフントの胴体は簡単に思いついた。
材料は棕櫚一本、はがしていくうちに「顔や」という皮がでてきて、ほかの部材は付け加えずに犬に仕上げることができた。
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孫も頑張ったが・・・僕もがんばった。モデルはこの犬(久遠という)だが、似ていませんか?

出品することに価値がある。
土砂降りの雨の中、2年生の孫は犬を抱えて登校した。

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6年前、パソコンで遊ぶ孫と久遠

犬を作った孫は6年前、赤ちゃんだった。今は立派な小学生である。
久遠は6年前、子どもの犬だった。今は普通の老犬である。
by koza5555 | 2013-09-02 14:46 | 古墳 | Comments(0)

コストコとダイエット

さまざまな日程で混み合っている中、尼崎のコストコに行ってきた。
コストコだもの、いつものようにしっかり買い込んだ。
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5年ほど前、本格的なダイエットにとりくみ12キログラムほど落とした。
方法はレコーディングダイエットで、これは食べたもの、カロリーを記録していくことにより食生活の改善?食を細くさせるダイエットである。

熱心にウォーキングにもとりくみ一年もたたないうちに12キログラムのダイエットに成功した。
その達成感のまま、細身の服もたくさん買ったが・・・それがみんなみんな窮屈になってきている。
歩くと疲れるし・・
74キロが62キロに。70キログラムに限りなく近づいてきている。
ヨシッ!そろそろ本格的なダイエットである。

ところが、今日は真逆で尼崎のコストコである。
ご承知のように、コストコ、会員制の倉庫型店である。面白いものがいろいろと売っているが、商品の桁が大きい。大きなカートにいっぱいの食料品の山である。
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ダイエットも前途多難であるが・・・まずはブログに書くことからダイエットを始めた。
by koza5555 | 2013-08-13 16:50 | 古墳 | Comments(0)

誕生日、カレーライスと西瓜

今日は僕の誕生日だった。
66歳の誕生日である。
昭和22年に生まれた。

復員した父が、農家の庭先を借りて、大工仕事や雑用で暮らしを立てようとするような貧しい暮らしである。
農村でも農家でないというのは、ま、そう落ち着いた暮らしではない。

貧しい田舎暮らしである。
真夏の誕生日のお祝いは・・・カレーライスとスイカだった。
誕生日はその夏に初めてスイカを食べる日で、おなか一杯カレーライスを食べる幸せがあった。

「誕生日のお祝いはどちらに?」などとあッちゃんに聞かれて、「子どもの頃のカレーとスイカで」と答えた。
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これがごちそうだった。もちろん、スイカはお昼に。カレーライスは夜だったが。四人の男の子を育てた父母の恩ということを感ずる年に僕もなってきている

さて、週末から週明けにかけて、バタバタした日が続いた。

ツアーの下見に法隆寺夏季大学、そして自らの病気の検査にふれあいいきいきサロンである。
さらに月が替わると猛然と忙しい。
ガイドとか講演とか、「映画のロケ」の段取りのためのあいさつ回りで日程は過密である。

いままではガイド、講演の内容は一か月くらい前には仕上げる段取り(下見があるのでそれに間に合わせている)で準備を進めてきたが、今回はそういう具合になっていないのである。

そして誕生日のお祝いをフェイスブックでも、たくさんにいただいた。

「これからも、奈良のいろいろを教えてください」、「これからもパワフルにお願いします」、「ますますナラの良さを紹介してください」と望む以上の期待のお声を頂いた。
「その歳は一年しかありませんから 66歳でしか出来ないことをやって 充実した一年にしてください」という激励もいただいた。

奈良の隅々まで回り、自らのビックリをfbとブログに書いてゆきたい。
そして、よく勉強する誕生日にすること、そしてたくさん学ぶ一年にしたいと思うのである。

66歳になった気持ちを表すと…こんな花火かな。
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これは前の桜井の花火大会の写真だが、明日(31日)の桜井はおんぱらさんの花火大会である。ぜひぜひおこしください。
by koza5555 | 2013-07-30 22:45 | 古墳 | Comments(2)