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奈良・桜井の歴史と社会

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カテゴリ:宇陀( 99 )

嶽山(だけやま)古墳

宇陀市榛原安田の山中である。

嶽山から安田に下る尾根に真南に開口する横口式石槨墳である。見た目では横穴式石室の奥に石槨が取り付けたという形で、複雑で不思議な構造となっている。


桜井市の中心部から東を見るとまずは外鎌山だが、実はその奥に大きな山を見ることができる。

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こんな形で堂々としている。ちょっとカマボコ型で東西に長いから、きたの初瀬から見ると台形に見える。この山の南側は笠間、安田、雨師(いずれも宇陀市榛原)と西から東に並んでいる。

国土地理院の地図には526mと記されるが、山名が記されていない。登山道は笠間の新陽明院陵の横から登っていくとNHKの中継塔が設置されている頂上に到着する。

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            新陽明門院陵

笠間の方に山名をお聞きしたことがある。「ダケだ」とのことである。「いや、山の名は」と重ねて聞くと「ダケ」。

違う機会に雨師の方に聞いたら、「ダケ」、しいて言えば「雨師のダケ」。

「ダケ」だけという山名、村にとっては大事な山だったんだなと思われる。

この名前の古墳があることに、今更ながらだが、最近気が付いた。それは「嶽山(ダケヤマ)古墳」という名である。「ああ、ダケは岳じゃなく、嶽なのね」、という感じである。

明治26年に調査されたという野淵龍潜の調査でも286番として記録がある。

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これをさがした。なかなか見つからなかった何とか到着できた。

安田区の農事集積所をまっすぐ西に上がる。左手に「嶽山古墳150m」の看板がある。

そのまま上ると右に電柵が張られた道が見える。そのまま20mも上がると車が停められる。電柵のフックを外して山に入る。すぐに左に分かれる道があり、それを登る。100mほど登ると右手に看板、右へ行けである。ブッシュをかき分けながら右に入ると尾根の真ん

中に大右があり、到達できた。

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入口見る、狭い。先も見えない。これは絶対に無理である。

墳丘の上に上ると、僥倖、カメラが入る穴があった。横穴古墳かと考えたが、一番おくに石槨が築かれている。

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玄室の奥に石槨があるとはと驚くが、これは大阪府羽曳野市の飛鳥千塚古墳群、奈良では桜井(この古墳と近接)の花山西塚古墳(国史跡)位のものらしい。

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「村の西方帰山の峰にあり。石窟ありといえども・・・入りえず」と龍潜は記した。ほかにも「石槨は見ることができない」とされていたが、最近、羨道の合間に口が開いたと思われる。だから、カメラは入る、滑りこめば入れると思うが、出てくるのが至難の業。それは現場で判断してください(笑)。

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by koza5555 | 2017-12-27 21:41 | 宇陀 | Comments(0)

かぎろひを観る会 大宇陀の万葉公園

12月21日付の『毎日新聞』の奈良版、ディスカバー奈良に、大宇陀万葉公園の「かぎろひを観る会」を書いた。

例年、歳末に行われる「かぎろひを観る会」は、今年は年明けの1月3日に実施される。
「かぎろひ」とは、日の出前に東の空が赤紫色に染まる現象というのが大宇陀の観光協会の「公式見解」である。東の空が赤紫色に染まる、かぎろひである。振り返れば西の空に月が見える、これが旧暦の11月17日に見られる現象だろうという事である。今年は、この日が新年の正月月3日ということである。

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この写真は現地では、「かぎろひ」とは認定してもらえないものであるが、僕が撮った最近の写真だ。曙光をバックに高見山が浮かび上がるすばらしい絵となった。

阿騎の野に 宿る旅人 うちなびき 眠(い)も寝らめやも 古(いにしえ) 思ふに
(巻1―46)阿紀神社に歌碑

東の 野にかぎろひの 立つみえて かへり見すれば 月傾きぬ 
    (巻1―48)    かぎろひの丘

これらの一連の万葉歌は秋の気配を示していて、柿本人麻呂の歌が旧暦11月17日とということを示しているのではと僕は考える。

こんなことを考えながら、毎日新聞のディスカバー奈良で、「かぎろひを観る会」を紹介させていただいた。

1月3日。午前4時から7時まである。
たき火を囲んでの講演や演奏が行われる。今年は元天理大学の谷山正道先生が、「宇陀の歴史と薬草」
というテーマで語られる。

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大宇陀、阿紀野は600年代から日本書紀に記され、万葉集に詠われた歴史に名を留める名所である。
①推古天皇19年(611年)5月5日に、菟田野で薬猟が行われている。
また、壬申の乱(672年)、天武天皇(大海子皇子)の東国発ちでは、吉野から東国へ向かう時、この宇陀・阿騎野を越えたことが記されている。

「その日に菟田の吾城に到る。大伴連馬來田・黃書造(きふみのみやっこ)大伴、吉野宮(よしののみや)より追ひて至けり。この時に、屯田司の舍人土師連馬手、從駕(おほみともにつかえまつる)者の食を供る。
甘羅(かむらの)村を過ぎ、獵者(かりびと)二十余人有り。ことごとくに喚して、ともにつかえまつらしむ。

その後は柿本人麻呂人麻呂が随行して、歌を歌った持統天皇6年(692年)、草壁皇子の遺児である軽皇子(後の文武天皇)の狩である。

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②古代、宇陀の地は丹の生産地だった。弥生時代から古墳時代、藤原・奈良の時代を通して、宇陀の赤土には丹が含まれていることが知られ、産地として知られている
丹(水銀)は不老不死の薬だと思われたが、食べることができなかった。そこで、丹を草木から採れると考え、菟田のキノコを食べた人が長命を保ったと日本書紀には記されている。

この地に、中山正實画伯が描いた『阿騎野の朝』が橿原から、移されたことも貴重である。
この壁画は、大宇陀の公民館(万葉公園に隣接)に壁画として展示されている。

今シーズンは正月3日である。お正月休み中で、チャンスと考えて、ぜひともお出かけください。
そんな思いで紹介させていただいた。

写真はすべて僕が撮影したものである。

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これが当日の地図、駐車場である。

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by koza5555 | 2017-12-21 05:37 | 宇陀 | Comments(2)

平井大師山と丹波佐吉

菟田野の北東、平井の大師山に残る四国八十八カ所を模した霊場。幕末の石工、丹波の佐吉照信が弟子たちと共に刻んだもので約百体の石仏が大師山をとりまいている。各石仏には本尊を浮き彫りにして、本尊の仏名、霊場番号、霊場名を刻んでいる。

この霊場は、嘉永、安政の頃(1848~1859)に各地の施主によって寄進、建立されたもので、台石に寄進者の指名が残されている。とりわけ十九番、立江寺の地蔵石仏は小形ながらも秀作といわれている。(宇陀市観光協会 平井大師山席仏群)


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順番に回ったが初めの写真は第87番の長尾寺聖観音である。


矢田寺の四国八十八カ所霊場を回ったことがある。聖林寺の裏山にも八十八カ所霊場が設けられていて、上がらせていただいたこともある。さらに僕は、四国の霊場を回ったこともあるのである。

それぞれ、特徴があるわけで、比較はできないが、平井大師山は丹波の佐吉が彫った、あるいは助手に彫らせたというところに意味があるんだろう。
丹波佐吉はこの地の大地主、美登路家と一族の平田彦八郎に招かれた。佐吉は十人ばかりの弟子とともに、嘉永4年(1851年)から三年掛かりで石仏を刻み続けたとのことである。

歩くにつれて、その魅力に引き込まれ、汗をかきながら完歩である。

素晴らしい石仏群、折々の大師像、仏塔も見逃せないのである。

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86番 志度寺十一面観音

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45番 岩屋寺 供養塔 不動明王(佐吉の銘あり)

モミジの季節、桜の季節がベストで寒い冬も好適だが、夏は今は厳しいものがあり、訪問は季節を選びたい。


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最後はいつものお遊びで


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あかい奈良』  平成6年夏号 「丹波佐吉と大和」 長田光男著 参照


by koza5555 | 2017-07-25 16:04 | 宇陀 | Comments(0)

神武東征聖蹟顕彰碑と丹生川上神社

ヤマトビトツアーズの「神武東征の道を行く」を案内する。4月9日(土)である。
丹生川上神社に始まり、宇賀神社、八咫烏神社、等彌神社というコースで、今日は丹生川上神社中社(東吉野村)と夢淵を見学、拝観してきた。
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夢淵。高見川、四郷川、日裏川の合流点

丹生川上神社のことである。
「人聲の聞こえざる深山吉野の丹生川上に我が宮柱を立てて敬祀らば天下のために甘雨を降らし霖雨(長雨の事)を止めむ」、天武天皇の時代に創祀せられたとされている。
平安時代以降は、祈雨の神として「二十二社」の一つに数えられ、祈雨には黒馬を、止雨には白馬を献じ朝廷の崇敬する重要な神社であり、古代から応仁の乱(戦国時代の入り口)までに、朝廷による雨乞い、雨止めの奉幣祈願が96度もされたとのことである。

しかし、その後の戦乱のなかで、丹生川上神社の所在地が判らなくなってしまう。
明治維新となり、丹生川上神社の調査が行われ、
明治4年、丹生村(下市町、祭神はくらおかみのかみ)の下社
明治29年川上村の上社(祭神はたかおかみ)が丹生川上神社とされた。
大正11年になって、蟻通神社といっていた、この社こそが、丹生川上神社(高見川沿い・祭神はみづはのめ)と(森口奈良吉の研究により)定められた。

その後三社一体として管理されたり、三社別々の神社で競合時代があったり、現在のような三社共存体制(三社共存とは僕が勝手に命名)という時代を経ている。

本殿は江戸時代のもので、東吉野村の文化財。写真は拝殿である。
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瑞垣内にある灯篭は鎌倉時代の弘長四年(1264年)銘で、国の重要文化財に指定されている。いわゆる蟻通灯篭である。
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黒馬(雨乞い)、白馬(雨止)の絵馬
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神武東征に関わる丹生川上神社である。
「紀元二千六百年奉祝会」により建てられた神武天皇聖蹟顕彰碑 丹生川上(にぶのかはかみ)顕彰碑の碑文は
「神武天皇戊午年(つちのえうまのとし)九月天下平定の為平瓮(ひらか)及び厳瓮(いつべ)を造り給い丹生川上に陟(のぼ)りて天神地祇を祭られ又丹生之川に厳瓮を沈めて祈り給えり聖蹟は此の地付近なり」。
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神武天皇の祈りに対して、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)は天香久山の土にて平瓮(ひらか)と厳瓮(いつべ)を作り、祀れと指示する。
椎津根彦(しいねつひこ)と弟猾(おとうかし)を老人、老婆に化けさせて天香具山へ派遣、土を持ちかえることに成功する。

「神意を占って『厳瓮を丹生川に沈めよう。もし魚が大小となく全部酔って流れるのが真木の葉の浮き流れるようであれば自分はきっとこの國を平定するだろう』と言われて厳瓮を丹生川に沈めた。しばらくすると魚はみな浮き上がって口をパクパク開いた。
椎根津彦がそのことを報告すると、天皇は大いにお喜びになられ丹生の川上の五百箇の榊を根こそぎにして諸々の神をお祀りされた。このときから祭儀のときに御神酒瓶が置かれるようになった。丹生川は、今の高見川で、高見・四郷・日裏の三川が合流したところの深淵は、神武天皇が夢にあらわれた天神の教えによって厳瓮を沈めたところだと伝えられ、『夢淵』と呼ばれています』東吉野村による掲示板
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上流側から見た夢淵

占ったところは夢淵だが、流れた魚がパクパク口を開いて浮き上がった場所、それを観察したところもしっかり、残されている。そこが魚見石である。夢淵から500メートルくらい下流だ。
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観察した人は椎津根彦(しいねづひこ)、天香具山に土を取りに行った臣下である。
「厳瓮を丹生川上神社神域の夢淵に沈められるや、やがて吉兆あらわれ大小の魚、木の葉の如く酔い流れ尊い神助の瑞祥を得られた。その魚の流れる様を臣の椎津根彦(しいねづひこ)が見届けた場所を、古くより魚見石と言い伝える。

五条の阿田人
大淀・下市の吉野首(おびと)
吉野町東部の国栖、大岩(石神神社)
さらに上流の東吉野の小(おむら)の丹生川上神社あたりを今度のツアーは力を入れて考えたい。
吉野と吉野川(紀ノ川)がヤマト王権の成立に深いかかわりを果たしたことは確実である。

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石神神社(矢治)、この大岩には圧倒される

4月9日(日)、東吉野の桜は残っているだろう。あらゆる意味で、楽しんでいただけるツアーである。

お申し込みは  やまとひとツアーズ、 0744-55-2221である。
by koza5555 | 2017-03-02 23:04 | 宇陀 | Comments(0)

神武東征の道を行く

4月9日(土)に「神武東征の道を行く」のツアーを案内する。前日の9日(土)、岡本彰夫先生の「誰も知らないやまとの神話」の講座(春日野国際フォーラム甍)と連携したツアーである。
ツアーは丹生川上神社中社、宇賀神社(オドノや血原橋も)、八咫烏神社、等彌神社を訪れて神武東征に思いを馳せようというツアーである。同時に岡本先生の「やまとの神話」の雰囲気を現地で味わっていただこうという趣旨のツアーだから、ちょっと緊張、気合を入れて準備したい。

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八咫烏神社から伊那佐山をのぞむ

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「初代天皇 神武天皇が日向から大和へと至る神話、神武東征。神話が神代から現代に至るまで、途切れることなく語り継がれてきた大和の地には、神武東征にゆかりのある場所が数多く伝わっています。
巌瓮(いつべ)と言われる瓶を用いて国の平定を占った東吉野村「丹生川上」。
神武天皇一行を熊野より導いた八咫烏ゆかりの宇陀市榛原八咫烏神社。日本で最初に大嘗祭が行われた建国の聖地 鳥見山に鎮座する桜井市 等彌神社など。一味違う奥深い大和を満喫していただきます。」
やまとびとツアー募集HPより

このツアーは昼食もすごい。大宇陀の蔵元、久保本家酒造の酒蔵を改装したレストラン「久保本家酒蔵 酒蔵カフェ」のランチ、ここはいま、注目されてきている。さらに、大宇陀、重伝建の松山の町並みも楽しもうという欲ばりツアーでもある。

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久保本家酒造

こんなコースの案内が僕のところに回ってきた。素晴らしいコースで、こんなツアーの案内、これこそガイド冥利というものだ。

   ツアーの詳細は  やまとびとツアーズ


4月9日(日)お一人さま 9800円。昼食付きバスツアー。
9時30分近鉄榛原駅出発、各地を見学、拝観して16時40分にJR・近鉄桜井駅解散


会員制のフリーペーパー、『やまとびと』をおすすめしたい。
桜井市の共栄印刷はフリーペーパー、『やまとびと』を発行してきたが、昨年の9月から「会員制フリーペーパー」に移行している。年会費1000円で、年に4回『やまとびと』が送られてくる。奈良を幅広く、さらにはディープに紹介する魅力的なパンフである。
 
 ツアーは4月9日、東吉野と宇陀の山々には桜は残っているだろう。この桜と共に、みなさんをお待ちしたい。
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by koza5555 | 2017-02-20 21:00 | 宇陀 | Comments(0)

室生寺と三本松の子安延命地蔵

涼を求めて、7月に室生を訪れてみませんか。
来月の15日(金)です。いつもの大人の学校、「雑賀が案内する奈良のあちこち」です。
女人高野といわれる室生寺を訪れます。今回は三本松の地蔵菩薩像の特別開扉・拝観を組み込みまして、今回だけという特別ウォークといたしました。
橋本屋の山菜料理も楽しみ、奈良の東の奥座敷、室生を隅々まで楽しんでみたいと思います。

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室生寺

◎行き先    三本松の子安延命地蔵と室生寺
◎実施日平成28年7月15日(金)雨天決行
◎集合時間午前10時30分 
◎集合場所   近鉄三本松駅 改札口前
◎コース(歩く距離約6km程度)
近鉄三本松駅(集合10:30)w.c.→ 10:40 三本松安産寺(地蔵菩薩)→ 11:30 道の駅発(橋本屋送迎車とタクシー利用)→ 11:45 橋本屋にて食事(室生山菜料理)w.c. → 12:45 室生寺(女人高野・五重塔)→ 14:30 室生寺下山 w.c.→14:44 室生寺バス停発 →14:44 室生口大野バス停着、14 : 50 同駅にて解散。近鉄電車に乗車   
 
◎持ち物  水筒、帽子、雨具をお持ちください。      
 ※室生寺境内を歩きます。歩きなれた靴でおいでください。

◎拝観料・入場料・食事代 
3,500円(食事代1,800円、室生寺拝観料600円、三本松拝観料300円、講師謝礼・保険代などで800円)。行程内交通費は別途必要です。
 ※バス乗車料は430円です。タクシー代は全体を案分しますので200円程度をお願いいたします。

◎申し込み先は大人の学校の溝口博己さんですが、このブログのコメント(鍵コメ)などでも受け付けます。

◎定員は30名で、残席はあと7名となっています。

三本松、子安延命地蔵
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by koza5555 | 2016-06-15 00:03 | 宇陀 | Comments(0)

奈良おいしい歴史散歩

今日は「おいしい歴史散歩」で室生寺に。
毎月、第4金曜日はNHKカルチャーの「奈良おいしい歴史散歩」、今日が6回目だった。
それなりにあちこち回ったが、室生寺は温存しておいた。
「錦秋の室生寺」である。

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「今年の紅葉は」とあちこちで聞くが、鎧坂はそれなりだった

三本松の子安延命地蔵を拝観して、橋本屋の食事、室生寺の拝観というコースである。
このツアーは電車と路線バス、タクシー、歩きが移動手段で、コースづくりに工夫がある。

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近鉄の三本松駅集合である。急行でも桜井、榛原とくると、それからは各駅停車(快速急行は停まらない)、三本松にも停まり(快速急行は三本松は停まらない)、大阪からでもとても利用しやすい。

三本松の安産寺に祀られている子安延命地蔵は重要文化財(国指定)、榧の一木造りで平安初期の作品である。
もともとは室生寺の金堂に祀られていたものだが、江戸時代の中期に流出した。
三本松の中村自治会が、安産にご利益がある仏様として大切に祀ってきている。毎月9日の午前に開扉しており、1月24日初地蔵、8月の第4日曜日がご縁日法要である。

こちらは、直近で拝観できるのがすばらしい。
「市の教育委員会から拝観者にマスクをかけさせよと指導があった」とマスクも用意されていた。

全員がマスクをして、「研究者みたいや」


室生寺の門前の橋本屋で昼食をいただいた。
おいしいと大好評で、僕としてもうれしい。
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お部屋からの太鼓橋


室生寺では堂塔、ご仏像を丹念に解説、とくに金堂は特別拝観中で安産寺の地蔵菩薩を思いおこしながらみんなで熱心に拝観する。
12神将は、引き続きお揃いである。

室生寺の堂塔は杮葺(こけらふき)と檜皮葺(ひわだふき)である。
杮葺(こけらふき)。薄く(2~3ミリ)割った木板(杮板)を重ねて葺いていく(板が厚くなるとトクサ葺、トチ葺、クレ葺と名が変わる)。

この杮(こけら)と柿(かき)の漢字の差がなかなかの難物。
今回は特別にパネルも作って解説、ご承知の方もおり盛り上がったし、良いことを覚えたと喜んでもいただいた。

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檜皮葺(ひわだふき)は檜の皮を重ねて葺いていく。
立木から採ったり(原皮師 もとかわし)、製材前の檜から採った材料も併用されている。

とても寒い日だった。
下山してから、橋本屋で葛湯、甘酒をいただいて、バスで室生寺大野に出て、解散である。
11月、紅葉のシーズンは、毎時1本のバスが2本となり、時間が変わっているので、注意が必要である。
by koza5555 | 2015-11-27 22:37 | 宇陀 | Comments(0)

戒長寺、西方寺、椋下神社とあぶらや

「宇陀の隠れ仏を求めて」をテーマに、宇陀市の戒長寺と西方寺を拝観するツアーを行った。

行程に工夫がある。榛原に集合し、タクシーで戒長寺へ。
拝観・お弁当を済ませて、徒歩にて山部赤人墓(伝)を経て、西方寺まで下る(4㎞ほど)。
西方寺からは、天満台東三丁目まで歩いて(300m)、奈良交通バスに乗り、福地で下車、椋下神社、あぶらやを経て榛原駅に至る。

「隠れ仏を求めて」としたが、戒長寺の松本住職は「別に隠れているわけではない」とちょっとおかんむりである。すみませんということで、2回目からは「秘仏を求めて」に変えたのである(汗)。

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戒長寺はこの戒場山の中腹(山頂に近い)に

「宇陀の秘仏を求めて」をテーマに戒長寺(かいちょうじ)、西方寺を訪ねる。午後は榛原の町並みを歩き、近世の榛原の町と山懐の秘仏を訪れようという「よくばりツアー」である。

最初に訪れるのは戒長寺。大和富士と呼ばれる額井岳(816m)の東、薬師山(戒場山・737m)の中腹に位置する古刹で宗派は言宗御室派、ご本尊は薬師如来である。戒場の村は俗界と遠く離れた山村で、さらに戒長寺はその村からさらに131段の石段を登らねばならない。

本堂には半丈六の本尊薬師如来を中央に、千手観音像、地蔵菩薩像などの藤原時代の古像が残されている。

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薬師如来の奥には、別の薬師三像が安置されており(写真は「大和のかくれ仏ほから」)、端正で優しいお顔、体部の肉づけも良く、衲衣の表現は藤原時代後期の特色があるとされている。

また、薬師如来の眷属である十二神将像が鐘身に鋳だされている梵鐘も有名で、正応4年(1291年)の銘がある。

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山部赤人墓(伝)を経て西方寺(さいほうじ)に至る。

西方寺。ご本尊の薬師如来像は、平成26年6月に重要文化財に指定された。
薬師如来立像は胎内文書によれば、弘安元年(1278年)の造立と考えられる(鎌倉時代)。奈良西大寺釈迦如来と相似の彫像で美術的に優れている。

素朴で平明な作風から像の制作は、像内の結縁交名(けちえんこうみょう)に記された「弘安元年」(1278年)と考えられ、鎌倉時代の基準作例として注目されるものである。

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西方寺は古くから融通念仏宗で、この薬師如来は戒長寺の近くから下されてきたと言われている

福地でバスを降り、椋下(むくもと)神社を参拝する。高倉下命(たかくらじのみこと)がご祭神で、神武東征の折、神武天皇にフツツの御魂の剣を献上した高倉下命である。福地の氏神様であるが、平安時代からの由緒ある延喜式内社である。

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これは11月3日の榛原の祭り、椋下神社の秋祭りである

榛原のあぶらや。旧旅籠として2階に至るまで全面的に開放されており、ゆっくり見学できる。
明和9年(1772年)本居宣長が宿泊している。
「けふはかならず長谷迄物すべかりけるを。雨ふり道あしくなどして。足もいたくつかれにたれば。さもえゆかで。はいばらといふ所にとまりぬ」とある。
「うつしてもゆかまし物を咲花の をりたがへたる萩はらの里」と歌がある。

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あぶらやの二階。展示室。説明も充実しており、楽しい。

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戒長寺の松本ご住職である。

このツアー、往きはタクシーだが、下山が長い道のりの徒歩で、それなりの脚力が必要である。見どころは満載で、ここは機会を作って、何度でも案内したい。
by koza5555 | 2015-07-09 23:32 | 宇陀 | Comments(0)

「小原の虫送り」は 夏至の前日

室生の笠間地区、笠間川の流域で山添村(今は奈良市)に接し、下流は名張市に続いている。古くから伊勢への最短路といわれる名張街道沿いとなる。

川は西から東、名張の方向に流れる。
上流から染田、小原、笠間と続くが、この一帯で夏至の前に害虫駆除のための虫送りがおこなわれる。この虫送りが、なかなか拝見できなかった

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これが、小原の虫送りである 小原の虫送りは夏至の前日である 

笠間川流域では、いまでも染田、小原、下笠間でこの行事が行われている。
今年は染田は一週間ほど前、下笠間は同じ21日であった。
田植えが上流から行われるように、笠間川流域の虫送りは上流から下流に順々である。
雨が降ると中止である。ちなみに一昨年は小原は中止となっている。

日が落ちるころから三々五々、村人が極楽寺に集まってくる。樹齢300年と言う素晴らしい枝垂れ桜の下である。樹勢は旺盛で、毎年見事な花を咲かせる。

虫送り、虫の駆除と合わせて虫の供養も行われることも注目点である。
虫も殺さぬということだが、農村の立場からは「田植えをしたら虫は殺したい」という所だろう。
それで虫送りの始めは「数珠繰り」。これは人の幸せを祈るものである。
虫送りの終わりには般若心経が唱えられていたとのことである。今は途絶えているが、この心経は虫の供養のためという。

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 数珠繰り。楽しげに受け取り、楽しげに送る


数珠繰りを終えるとすぐに出発だ

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 夕闇の迫る田園に向かう。火があり、響き渡る虫送り太鼓と鉦の音。楽しくなる。


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村の集会所の近くの休耕田までだ。このころとなるとすっかり夕闇となる


実は前日の20日も来ていて・・・20日は・・・野焼きだけ見て帰ったのである
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小原の虫送りは、曜日ではなく。日にちでもなく 「夏至の前日」と決められていた。
by koza5555 | 2015-06-22 00:43 | 宇陀 | Comments(0)

今阪屋旅館、宇太水分神社とカエデの郷ひらら

春が来て、菟田野に行きたいと考えていた。カエデの郷「ひらら」と宇太水分神社である。

「カエデなら秋だろう」・・ではあるが、ひららの矢野正義さんは、「秋の紅葉はさまざまだが、春から夏への一斉の芽吹きはすばらしい」と言われるのである。

宇太水分神社も久しぶりに訪れたい。
「こちらなら10月の秋祭」、これも普通であるが、水の守り神として信仰を集めてきた水分神社、田に水を入れる春にこそ訪れてみたいものである。

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宮垣越しのこの紅葉、これも素晴らしい



梅田のNHKカルチャーで、「奈良おいしい歴史散歩」という講座を受け持った。この4月から始まるのである。

奈良のおいしいものを食べて、美味しいところを案内しようという企画である。
講座の初っ端は、「阿騎野の薬草料理」である。
大宇陀には薬草・薬膳料理を扱うお店はいくつかあるけど、今回は今阪屋旅館と決めた。
阿騎野(宇陀市大宇陀)を訪れ、今阪屋旅館にて薬草松花堂弁当を堪能しようという試みである。


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騎野の地で詠まれた「ひんがしの 野にかぎろひの 立つみえて かへり見すれば 月傾きぬ」(万葉集 巻1の48)は、国民の心をとらえた万葉集の代表的な歌の一つである。

この地(菟田野)で、推古天皇が611年(推古天皇19年)に薬猟を行った(日本書紀)と記されている。
持統天皇6年(692年)には、草壁皇子(天武天皇と持統天皇の皇子)の遺児である軽皇子(後の文武天皇)が狩も行っている。この時、随行した柿本人麻呂が詠んだ歌が、この「ひんがしの・・」歌である。
古代から宇陀の赤土には丹が含まれていることが知られており、丹(水銀)は不老不死の薬だとされたが、そのまま食べることはできず、丹は草木を通して摂取できると考えられていた。
菟田(宇陀)のキノコを食べた人が長命を保ったと日本書紀には記されている。

そんな話をしながら、今阪屋旅館で薬草松花堂弁当をいただく。
大宇陀は(古代に)不老不死の力があるとされた薬草が育つ場と言われてきており、この薬草を調理して薬草料理を生み出した今阪屋旅館で、「薬草松花堂弁当」をいただく。

食事の前後は伝統的重要文化財に指定されている大宇陀の町(松山)を散策する、これがふつうのコースだと思うが、午後、菟田野の町(古市場)を訪ね、宇太水分(うだみくまり)神社とカエデの郷ひららを訪れるというコースを考えたのである。

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宇陀・松山・・薬の館。もちろん、こちら辺りは訪ねる計画である

榛原から大宇陀道の駅までは路線バス、大宇陀の松山から菟田野の宇太水分神社まではタクシー分乗、古市場水分神社から榛原へは路線バス・・・面白そうなコースが出来上がった。今度も、たくさんの皆さんにお世話になって、歩けるツアーである。

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これがいまの「ひらら」。カエデの芽吹き、ツアー実施日の24日(金)にはバッチリですか?
by koza5555 | 2015-04-13 17:16 | 宇陀 | Comments(0)