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奈良・桜井の歴史と社会

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カテゴリ:桜井・忍坂と等彌神社( 7 )

外山(とび)不動院不動明王

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6月28日は外山不動院の大祭である。外山不動院は毎月28日に「護摩祈祷会」を厳修されているが、一年に一度の大祭は6月である。外山中筋町は子供会も含めて、町挙げての行事でもある。「和の一と」の和太鼓の演奏があり、護摩法要が行われる。
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真言宗である。国道を挟んでしまったので見えにくいが、宗像神社の参道に西面している。

宝形造本瓦葺きのお堂があり、古くからの由緒も感じさせられる。
元々は外山にいた長谷川党が建てたという長谷ケ堂の名残のとのことで、付近には経蔵山・ハセガ堂の地名が残っていると聞いた。

ご本尊は不動明王坐像で、国により重要文化財に指定(昭和633月)されている。


像高85㎝。左目を閉じ、頭頂に沙髻(しゃけい)を表す平安後期の不動明王の姿である。檜材を用いた寄木造で、現状はほぼ古色を呈しているが、当初の華麗な彩色をとどめており、条帛の背面部や裳の一部にに切金文様が認められる。二重円相を透かした火炎光背と、七重の瑟々座が揃う王朝様不動明王像の本格作は、奈良県下でも珍しい。(境内桜井市教育委員会掲示)


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左目を閉じている。不動明王で、左眼を閉じ右眼を開けて睨むのを「阿遮一睨(あしゃいちげい)」と言うそうである。「すべてを見通すぞ」という感じですごみがある。


今日はそうめんのお接待が (具が乱れているのは、少し食べたから)

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毎月28日の午後2時から護摩を焚いており、地元をはじめ遠方からの信者も熱心に参拝されているとのことである。

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by koza5555 | 2017-06-28 21:06 | 桜井・忍坂と等彌神社 | Comments(0)

鏡女王忍阪墓 談山神社

談山神社、6月第二日曜日は鏡女王祭である。今年は6月11日となる。
午前11時から東殿にて祭祀を行う。
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鏡女王祭


前日(土曜日)には、桜井市忍阪の生根会により鏡女王忍阪墓前祭がおこなわれた。
鏡女王忍阪墓は、生根会(忍阪区老人会)によって草刈りなどの日常的な管理が行われていて、談山神社とともに祭祀を行うのである。
祭は一年に一度、東井(ひがい)会長をはじめ、役員のみなさんの気合は十分である。
談山神社からは宮司と黒住さんが参加。
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神社と忍阪のみなさんで、天智天皇の妃、藤原鎌足の正妻、万葉歌人でもある鏡女王の生涯をしのんだ。
鏡女王の歌碑は鏡女王墓をしばし降りた、舒明天皇陵に差し掛かった川の中に置かれている。
「秋山の 木の下隠(このしたがく)り 行く水の 我れこそ益さめ 御(み)思ひよりは」で、天智天皇との思いを歌う歌である。犬養孝先生の揮毫である。桜井市は歌碑王国で60基以上の万葉歌碑を数えるが、犬養先生の揮毫はこれと大福の三十八柱神社だけである(そうですよね)(^^)。多数の識者に書いてもらうという趣旨で歌碑建設を進めてきた努力の結果でもあるが。

鏡女王忍阪墓
被葬者は額田王の姉で天智天皇の妃、のちに中臣鎌足の正室。万葉歌人の鏡女王の押坂墓とされている。談山神社が管理しており、忍坂の生根会が清掃奉仕をしている。
平安時代前期に編纂された「延喜諸陵式」には舒明天皇の陵域の東南と書かれている。
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鏡王女(かがみのおおきみ、生年不詳 - 天武天皇12年7月5日(683年8月2日))は、飛鳥時代の歌人。藤原鎌足の正妻。『万葉集』では鏡王女、『日本書紀』では鏡姫王と記されている。『興福寺縁起』・『延喜式』では鏡女王。『興福寺縁起』では藤原不比等の生母(後世の創作とする説もある)。また後述するが「鏡王女」と「鏡姫王」を別人とする説もある。(ウィキ)

忍坂【おしさか】
奈良県桜井市の東部,外鎌(とかま)山西麓の古代以来の地名。恩坂,押坂とも書き,〈おさか〉ともいう。遺称地である桜井市忍阪は〈おっさか〉。地名〈忍坂〉は《日本書紀》神武天皇即位前紀や垂仁天皇39年10月条にみえ,後者の記事によるとこのとき大刀1千口を新たに作らせ,〈忍坂邑〉に収蔵したのち石上(いそのかみ)神宮(現奈良県天理市)に移している。(百科事典マイペディアの解説)

これをFBでも紹介したら石亀嶽さんから昭和40年代の忍阪墓の写真が送られてきた。
「門だけ・・植わっているのは松」とのことである。犬養孝が「松の木が19本」と書いたとおりである。村人によると、「松は50年までにはすべて枯れた。杉を植えた」である。
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昭和40年代(石亀嶽さん提供)
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現在の墓。杉林
by koza5555 | 2017-06-10 22:29 | 桜井・忍坂と等彌神社 | Comments(0)

桜井市ムネサカ古墳群

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これが一号墳である。白状するが今回は到達。3回目だった。

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前回の敗退を教訓して今回は登山靴。

森本運輸の駐車場から入る。もちろん事務所には声をかけて許可を得る。一回目はこれも知らず、国道から無理矢理、登ったのである。
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道なりに登る。道標がある。今回も右に折れた。青い線である。
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こちらにはもう一個、道標がある。そこから稜線へ直登である、石室の入り口が無い、小高い山に上がった。くるりと周りを見てみると、丘尾切断型の円墳の上にいるように思える。西に下りてから南に回ると、ありました。

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一号墳の入口

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内部から外をみてみると


西北の方向に二号墳、これも戸惑ったが発見できた。
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しかし、これは狭い。3メートルくらい匍匐前進すると中は広そうだが、これは勇気ある撤退かな。

下りの道でよく確かめてみると、笹やぶも赤い線に沿って踏み分けがあった。


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桜井市の埋蔵文化財センターは「桜井市の横穴石室を訪ねて」を発行している。100ページくらいのリーフレットである。

このリーフレットをペラペラとめくるとムネサカ古墳がとても気になったのである。忍坂から女寄峠に登るR166の左側の山手にあるという。

終末期の大型円墳と石室、これが二つ並んで残されているのである。石室の石積みは玄室・奥壁とも二段積み、羨道は一段積みで、ほぼ切石状態で漆喰も使われているとのことである。
 このような石材の構成や規模は、明日香村の岩屋山古墳とほぼ同一でである。同じ設計図を用いて作らたとも考えられ、石室を作った工人は同じだったのかもしれない。

ムネサカ古墳群(桜井市大字粟原字峯坂)
by koza5555 | 2016-03-24 21:49 | 桜井・忍坂と等彌神社 | Comments(0)

鏡女王押坂墓 墓前祭

談山神社は鏡女王(かがみのおおきみ)を東殿に祀っていて、6月の第二日曜日午前11時から鏡女王祭りを行っている。
その前日の午前10時から、忍坂の鏡女王押坂墓において墓前祭がおこなわれる。

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 鏡女王忍坂墓

鏡女王祭を支えるのは、忍阪の生根会である。
生根会、鏡女王墓を清掃管理する忍阪区の老人会である。年に3回、鏡女王墓の外周などの草刈りをされている。「もう、50年になる。区の道づくり(川掃除)とは別に行っている。昨日は朝五時から。そして5月と10月」と、老人会長が言われる。
この生根会が墓前祭を行うのである。

忍阪生根会。氏神様から命名されたようである。こちらの氏神、忍坂坐生根神社は三輪の大神神社と同じで本殿がなく、忍坂山を神体山としていて、拝殿・鳥居・玉垣のみの神社である。
神社の頭屋記録、「忍坂庄神事勤帳」は延徳4年(1492年)から残るという。(桜井風土記 忍坂生根神社による)

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 ちょっと寄り道して、忍坂生根神社の境内である


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 旧街道筋から舒明天皇陵、鏡女王墓に入った所(ただし新道)にちご石。神武東征の時に、この石の隠れて戦うという伝承を持つが、普通に神籠石として、神の依り代として崇敬されたとみるのが自然である


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 舒明天皇押坂内陵。八角墳の始めのものとされる


舒明陵をこえると、鏡王女の歌碑がある。
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「秋山の樹(こ)の下隠(したがく)り 逝(ゆ)く水の われこそ(ま)益さめ 思ほすよりは」(巻2-92)鏡王女
歌碑は犬養孝の揮毫である。
鏡女王、天智天皇の后だったが、鎌足の正妻になったとされ、。不比等の実母と言われ、興福寺の前身の山階(やましな)寺を創建したと言われる。

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鏡女王押坂墓前祭。談山神社の長岡宮司が祝詞奏上

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墓前祭をおえて

二年前の談山神社の鏡女王祭のリンクは  こちらから  


最後に、鏡女王上墓の奥の大伴皇女押坂墓に。こちらまで登って振り返ると多武峰が正面である
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by koza5555 | 2015-06-14 09:56 | 桜井・忍坂と等彌神社 | Comments(0)

映画、義仲穴(ぎちゅうけつ)、桜井 等彌神社でのロケ

源(木曽)義仲ってどう思いますか?

長野県で聞いたらプラスイメージだよね。
北陸で聞いてもプラスイメージだと思う。
京都では乱暴者ということで、はっきりマイナスイメージでしょう。
それで奈良では、どうなんだろう?

秋原北胤(ほくいん)監督が主宰する東京のカエルカフェが、義仲の映画、「義仲穴」(ぎちゅうけつ)を作成する。
秋原監督は「義仲の映画は奈良でこそ撮りたい」と奈良でのロケを考えている。「奈良の大仏を焼いた平家を追い払ったのは義仲。義仲は奈良で好感が持たれている」というのが、その考えの土台である。

さまざまな候補地が奈良県下であったが、秋原監督は桜井市の等彌神社を見て「ここがイメージ」と言い切り、ロケを等彌神社で10月28日に行うのである。
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等彌神社の境内

秋原監督は「特定のスポンサーに頼らず、地域住民を巻き込む幅広い皆さんのご協力で映画をつくる。だから協力者、出演者の確保に私も力を尽くし、ワークショップという手法で広げている」と語り、「映画の魅力は大きく、映画作りには地域おこしの力がある」と熱心に語られる。
これは桜井の活性化、町おこしに力を入れる等彌神社の佐藤宮司の思いと波長がピッタリである。

「9月30日には、ワークショップ(衣装合わせ、演技の練習)を等彌神社でやろう」という具合に話はとんとん拍子に進んでいく。
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監督と出演者の玉串奉奠、撮影場所の確認、撮影シーンの確認なども終えて、みんなで記念撮影である

秋原監督は「桜井市役所への表敬訪問も行った。
監督は元田清士副市長と30分にわたって懇談。元田副市長は映画が趣味と見えて、意見の交換、質問も具体的で監督の思いが通ずる懇談となった。
映画ができてからのことではなく、映画作成、映画のロケへの桜井市民の参加をさらに増やしたいものである。
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元田清士副市長との懇談、左から元田副市長、倉本明佳聖林寺住職、秋原冬胤監督

「義仲穴、桜井等彌神社ロケ」、いよいよ始動である。
by koza5555 | 2013-08-20 22:48 | 桜井・忍坂と等彌神社 | Comments(0)

鏡女王と談山神社東殿、忍阪の鏡女王墓

藤和鎌足をご祭神とする談山神社は正室の鏡女王(かがみのおおきみ)を東殿に祀っている。
毎年、6月の第二日曜日午前11時から鏡女王祭りを斎行する。
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6月9日。東殿での鏡王女祭  
最近は室生だ、三宅町だとブログの幅を大きく広げてしまっているが、今日は地元の談山神社、鏡王女祭のことを書いておくことにする。

三つほどである。

一つは天武天皇(大海人皇子)と鎌足公、鏡王女とのことである。
談山神社の長岡宮司は祝詞のなかで鏡王女の万葉歌を紹介した。
秋山の 木の下隠り 行く水の 我こそ益(ま)さめ 御思ひよりは(巻2―92)である。
万葉歌が入っている祝詞は僕は初めて聞いた。

そして、直会で宮司は天武天皇(大海人皇子)と鎌足、鏡王女のことを話された。
鎌足公は本殿、鎌足の正室の鏡女王は神社東殿に祀られている。この鎌足公と鏡王女、天武天皇がどんなに信頼したか、大事にしたかが日本書紀に記されている。

「天武12年7月4日、天皇 鏡姫王(かがみのおおきみ)(鎌足の嫡室)の家にお越しになり、病気を見舞われた。5日、鏡姫王は薨じた。」
天武天皇は鏡女王の亡くなる前日に見舞いをしているのである。

「天智8年10月15日、ひつぎの皇子(大海人皇子・天武天皇)を藤原内大臣(ふじわらのうちのおおおみ)の家に遣わし、大織冠(だいしょくかん。冠位の最上位で藤原鎌足だけが授かった)を授け、藤原の氏を授けた。16日、鎌足は薨ずる。」である。
鎌足公の亡くなる前日にも見舞いに訪れていて、いかに鎌足を信頼していたかがわかる。

二つ目に、「本日、鏡女王のご神像の御霊込めを行った。福禄寿神を彫っていただいた斉部哲夫大阪芸術大学教授にお願いをして、鏡女王のご神像ができました」と紹介があった。ひざまずき、雲形の鏡を抱いたご神像はあたかも本殿を見上げるような姿勢で少し上向きである。
祭祀の終わりに、斉部先生に「何歳の鏡女王ですか」とお聞きすると、「年齢はなしです。永遠の少女というか」というのが先生の答えである。
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左が斉部哲夫さん、右が室原慶和さん

三点目である。
鏡女王祭、参列者の中心は生根会の会員とホテル日航奈良のツアーの参加者だった。
生根会、鏡女王墓を清掃管理する忍阪の老人会である。忍阪の氏神様でもあり、山をご神体とする忍坂坐生根神社の名前をもらっての生根会である。
「鏡女王忍坂墓と生根神社の清掃が生根会の仕事です。一昨日は鏡女王墓の草刈り、昨日は墓前祭を行いました」と言い、驚くほど行動的な老人会である。

「鏡女王祭は忍阪の鏡女王墓で行われていたが、それは談山神社東殿で行うようになった」と聞いたことがあったが、移されたのではなく、談山神社でも斎行することになったとのことである。墓前祭が継続されていたことは知らなかった。
鏡女王祭は6月の第二日曜日の午前11時から。墓前祭はその前日の午前10時からである。
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さっそく草刈りの終わった忍阪の鏡女王墓を訪れてきた

さて、土曜日は奈良交通の万葉ツアー、桜井・長谷コース、僕の準備も、これでいよいよ完了である。
by koza5555 | 2013-06-10 23:27 | 桜井・忍坂と等彌神社 | Comments(0)

忍阪山口神社の楠 八つ房杉 神楽岡神社の杉

何本かの好きな樹の話である。
わが家の木ではなく、よその人が丹精を込めている樹である。

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一番は、忍阪山口神社(桜井市赤尾)の楠。
延喜式神名帳に記された大和の山口の神々は14社。忍阪山口神社はそのうちの一社である。

この境内に素晴らしいクスノキの巨樹が生きている。

「室町幕府の第三代将軍足利義満は、京都の北山に金閣寺を造営するにあたり、天井板を一枚張りにしたい為に、この神社の楠の巨樹を切り出したと言われています。
現在境内にある楠の巨樹は、この時切られた楠の二代目と言われています」(境内の掲示)。

このクスノキには圧倒される。枝分かれというより、2~3本が接着したという感じだが、それでもすごい。名古屋の熱田神宮は楠の巨樹(大きい7本は名前が付いている)で有名だが、忍阪の楠は引けを取らない。

接着と言えば、八ツ房スギ(宇陀市菟田野区佐倉)もそうである。
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桜実神社の境内、社殿に隣接した東の高台にあり、根幹の接着によって8株くらいの杉が四方に伸びている。全体の周囲が14mもあり、天然記念物に指定されている。
ここは、太い直立樹が枯れたのが残念だが、地を這うような樹勢の強い大樹もあり、何度見ても感動する。

先日、神楽岡神社(宇陀市大宇陀)を訪れた。春に「大海子皇子東国発ち」というツアーを案内したが、その時訪れるべきところだった。気になっていた。
そこであっちゃんと先日訪れた。普通の参拝と見学だが・・・そこで、杉の巨樹を見た。
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拝殿と本殿の間だから、うっかり見落とすところだった。

最近、気に入っている三本の巨樹である。
いつでもそうだ。大木から力をいただく。樹の声を聴くと、力がいつでも湧いてくる。
by koza5555 | 2012-09-04 00:12 | 桜井・忍坂と等彌神社 | Comments(1)