人気ブログランキング |
ブログトップ

奈良・桜井の歴史と社会

koza5555.exblog.jp

カテゴリ:室生・室生寺( 37 )

室生の桃。または桃源郷

近く、室生の話をいたします。今回は「室生の桃」もお話しします。「室生の桃」、萬葉集にあります。

しかし、いま、室生には桃畑は見当たらない。


歌は

「大和の室生の毛桃 本しげく 言ひてしものを 成らずは止まじ」(巻112834

「大和の室生の桃のように、桃の花が一面にというような風景、それと同じようなあふれる思いで言ったのだから、この恋は実るだろう」という歌である。

桃の実に寄せて、あの娘との恋の成就をうたった。

しかし、いま、室生には桃畑は見当たらない。

萬葉集の時代に室生の桃はとりわけ名高かったのか。それとも単に比喩的に、室生の地名が出ただけなのか。

いずれにしても、室生が万葉の時代に、桃源郷、またはある種の桃源郷だったことは間違いない。室生は雨・水をつかさどる神として龍穴神社があり、その信仰に関わって室生寺も創建されたとされる。いわば理想的な‥言い換えれば桃源郷として位置づけられていたのである。


室生寺に詣でるためには、どこから入っても峠を越えなければならない。そういう地形である。

その峠、東西南北の路には四大門というお寺が置かれていた。

北は名張の丈六寺、東は田口の長楽寺、南は赤植の仏隆寺、西は大野の大野寺だが、今日は南の仏隆寺からの室生古道を紹介したい。

仏隆寺・・千年桜、空海が持ち帰ったとされる茶臼など、話題は多い。

彼岸花も有名だったが、5年ほど前、獣害で壊滅的な被害を受けた。これが復活しつつで、今年は楽しみである。

a0237937_13410413.jpg
a0237937_13411122.jpg

この仏隆寺から室生寺への道がある。室生古道と称してもいいだろう。

まずは仏隆寺から道路標識に沿って坂を登る。そこがカラト峠。大師伝説で「室生の里は唐の国のようだ」とあり、その入り口、だからこの名が付いた。宴行者像が置かれている。

a0237937_13412690.jpg

カラト峠から下っていくとカラミタという字がある(標識はないが「唐見た」)。

そこを下がると腰折れ地蔵が祀られる。腰から下が二つに折れている。「地蔵仲間のなかでも意地悪だったので倒された」とか、「子育て地蔵と子どもの取り合いをして腰を折られた」などのいわれがある(室生公民館 平成2412月)と掲示がある。

室生古道(南の大門の仏隆寺から室生寺)の道中にあることから注目度の高い石仏であったと思われる。

a0237937_13413010.jpg

この道(車で走れる林道も歩く旧道もある)には、頑丈な獣除けの柵があるが、カギの無い扉があるから、それを開けて(通過後は必ず閉めて)通過することができる。

室生の村に入る。最初は西光寺。樹齢400年という「城之山桜」の枝垂れ桜が有名である。

a0237937_13413366.jpg

ここまで来ると・・そこは室生の郷、室生寺でもある。

「室生は桃源郷」がテーマであるが、現在は桃畑は見当たらない。・・

●(古代中国)桃は仙果として、邪悪を避ける力があるとされた。桃の木で作った人形(桃人)を門に立てる、桃の枝を門に挿す、モモ板に呪文を書く。

●(日本の神話)イザナギは黄泉の国から逃げて、黄泉比良坂で桃の実を投げて窮地を脱する(神話)。

●お伽話の「桃太郎」も、実は桃が鬼を退治する話。



この道を一度は歩いていただきたい(笑)。それが無理なら、せめて車でよいから楽しんでいただきたい。

室生から仏隆寺に至る道は、ちょっと説明が難しい・・荷の出の大門集会所の前を抜けて、西光寺を経て、左へ回ると…と言われても・・・

仏隆寺からは、道路標識があるから簡単である。

a0237937_13412095.jpg


by koza5555 | 2018-09-05 13:44 | 室生・室生寺 | Comments(0)

室生寺と三本松の子安延命地蔵

涼を求めて、7月に室生を訪れてみませんか。
来月の15日(金)です。いつもの大人の学校、「雑賀が案内する奈良のあちこち」です。
女人高野といわれる室生寺を訪れます。今回は三本松の地蔵菩薩像の特別開扉・拝観を組み込みまして、今回だけという特別ウォークといたしました。
橋本屋の山菜料理も楽しみ、奈良の東の奥座敷、室生を隅々まで楽しんでみたいと思います。

a0237937_1810385.jpg
室生寺

◎行き先    三本松の子安延命地蔵と室生寺
◎実施日平成28年7月15日(金)雨天決行
◎集合時間午前10時30分 
◎集合場所   近鉄三本松駅 改札口前
◎コース(歩く距離約6km程度)
近鉄三本松駅(集合10:30)w.c.→ 10:40 三本松安産寺(地蔵菩薩)→ 11:30 道の駅発(橋本屋送迎車とタクシー利用)→ 11:45 橋本屋にて食事(室生山菜料理)w.c. → 12:45 室生寺(女人高野・五重塔)→ 14:30 室生寺下山 w.c.→14:44 室生寺バス停発 →14:44 室生口大野バス停着、14 : 50 同駅にて解散。近鉄電車に乗車   
 
◎持ち物  水筒、帽子、雨具をお持ちください。      
 ※室生寺境内を歩きます。歩きなれた靴でおいでください。

◎拝観料・入場料・食事代 
3,500円(食事代1,800円、室生寺拝観料600円、三本松拝観料300円、講師謝礼・保険代などで800円)。行程内交通費は別途必要です。
 ※バス乗車料は430円です。タクシー代は全体を案分しますので200円程度をお願いいたします。

◎申し込み先は大人の学校の溝口博己さんですが、このブログのコメント(鍵コメ)などでも受け付けます。

◎定員は30名で、残席はあと7名となっています。

三本松、子安延命地蔵
a0237937_1893877.jpg

by koza5555 | 2016-06-15 00:03 | 室生・室生寺 | Comments(0)

「小原の虫送り」は 夏至の前日

室生の笠間地区、笠間川の流域で山添村(今は奈良市)に接し、下流は名張市に続いている。古くから伊勢への最短路といわれる名張街道沿いとなる。

川は西から東、名張の方向に流れる。
上流から染田、小原、笠間と続くが、この一帯で夏至の前に害虫駆除のための虫送りがおこなわれる。この虫送りが、なかなか拝見できなかった

a0237937_2347075.jpg
これが、小原の虫送りである 小原の虫送りは夏至の前日である 

笠間川流域では、いまでも染田、小原、下笠間でこの行事が行われている。
今年は染田は一週間ほど前、下笠間は同じ21日であった。
田植えが上流から行われるように、笠間川流域の虫送りは上流から下流に順々である。
雨が降ると中止である。ちなみに一昨年は小原は中止となっている。

日が落ちるころから三々五々、村人が極楽寺に集まってくる。樹齢300年と言う素晴らしい枝垂れ桜の下である。樹勢は旺盛で、毎年見事な花を咲かせる。

虫送り、虫の駆除と合わせて虫の供養も行われることも注目点である。
虫も殺さぬということだが、農村の立場からは「田植えをしたら虫は殺したい」という所だろう。
それで虫送りの始めは「数珠繰り」。これは人の幸せを祈るものである。
虫送りの終わりには般若心経が唱えられていたとのことである。今は途絶えているが、この心経は虫の供養のためという。

a0237937_23545638.jpg
 数珠繰り。楽しげに受け取り、楽しげに送る


数珠繰りを終えるとすぐに出発だ

a0237937_23562590.jpg
 夕闇の迫る田園に向かう。火があり、響き渡る虫送り太鼓と鉦の音。楽しくなる。


a0237937_23581363.jpg
 
村の集会所の近くの休耕田までだ。このころとなるとすっかり夕闇となる


実は前日の20日も来ていて・・・20日は・・・野焼きだけ見て帰ったのである
a0237937_005775.jpg

小原の虫送りは、曜日ではなく。日にちでもなく 「夏至の前日」と決められていた。
by koza5555 | 2015-06-22 00:43 | 室生・室生寺 | Comments(0)

室生の龍縄と龍穴神社の秋祭

産経新聞 9月20日付の奈良版の「なら再発見」は、僕が書いた「室生の龍縄と龍穴神社の秋祭」である。

a0237937_22485864.jpg
室生寺の太鼓橋から金堂前の天神社に向かう。龍神を迎えに境内に入る

この記事の全文は以下のとおりである。

 女人高野として知られる室生寺を訪ねてみよう。太鼓橋を渡り、仁王門から入山する。七十二段の鎧坂(よろいさか)を登っていくと、金堂が徐々にその姿を現してくる。至福の時である。
金堂前の広場に上がりきると左側は弥勒堂だ。祀られている国宝仏に期待が膨らむところだが、振り返って右側を見てみると、小さな社が置かれている。この社は天神社といい、社前の大樹に勧請綱が架けられている。
この綱は龍の形を模して作られ、頭があり、紙で作られた幣(へい)やモミジが取り付けられ、龍縄(りゅうじょう)という名で呼ばれている。
同じ形の龍縄は室生寺の境内から1キロほど離れた龍穴(りゅうけつ)神社の鳥居の外、室生川畔の杉にも架けられており、一対をなしている。
龍神は、室生の龍穴祭の日に、この龍縄に下ってくるのだ。
* * *
龍穴祭は10月の中旬に行われる。
前日から垣内(かいと)と呼ばれる各字(あざ)で宵宮祭を行い、当日は午後1時に室生寺の太鼓橋に集まって祭りが始まる。
 祭りを主宰する当屋(とうや)と獅子頭を先頭にして、絵馬、日の丸(ひのまる)を描いた大型の御幣(ごへい)や採り入れたばかりの野菜を串刺した須供(すこ)と呼ばれるお供えを携えて、村人が集まる。
* * *
祭りは室生寺境内の天神社への参拝から始まるが、まずは集まった村人から室生寺住職に入山許可を求める呼び使いが出される。
この使いは寺内に入り、まずは「一度(いちど)の使い~」と声を上げるのだ。室生寺の住職は、ここでは出座してこない。
出直した使いは、次は「二度の使い~」と口上(こうじょう)を述べるが、住職の出座はまだだ。これが七度(ななたび)繰り返されて、いわゆる「七度半(しちどはん)の使い」を経て住職は出座となるのだ。

a0237937_22512891.jpg

門前に出た住職は、弘法大師の代理として龍王の代理である当屋を迎えて、三々九度(さんさんくど)の杯で契(ちぎ)りを固める。
その後、行列は境内に入り、金堂前の広場で天神社と龍縄への獅子舞の奉納を行うのである。

行列はここで龍神を迎え、龍神のお渡りとして、獅子と村人に守られて龍穴神社へと向かう。
龍穴神社でも境内に入る前に神杉に架けられた龍縄に参拝して、その後、境内に入り、国と村の平穏を祈り、豊作を願って獅子舞が繰り返し奉納される。

* * *
室生寺は真言宗の道場として弘法大師が興したとの説があり、奥の院には弘法大師を祀る御影堂が置かれている。弘法大師が亡くなった21日には、住職をはじめ多くの僧侶が御影堂に参詣し法要をおこなっている。
一方、興福寺の僧が山部親王(やまべしんのう)(桓武天皇)の病気平癒を室生の地で祈り、龍穴神社の龍神の力も得て治癒したとの縁起もあり、その功労に報いるために室生寺が開基されたという説も有力である。室生寺はこの龍神を守護する神宮寺として建てられたということだ。
その後、室生寺は、弘法大師によって開かれた真言宗の大きな影響を受けて隆盛を迎えた。この室生寺の成り立ちと歴史を考えると、龍穴神社の龍神と弘法大師が大きな役割を果たしたことは間違いないところであり、龍穴祭は、その歴史を形にしていまに示している。
龍神と弘法大師の契りの杯があり、室生寺境内と龍穴神社に龍縄が架けられ、獅子舞が奉納される龍穴祭、今年は10月13日(月・祝)に斎行される。
いつもは静かな室生の郷が、明るく華やぐ龍穴祭、ぜひ訪れたいものだ。


(NPO法人 奈良まほろばソムリエの会 雑賀 耕三郎)

a0237937_22527100.jpg


掲載された文章であるので、あとの講釈は不要だが、祭りの見どころポイントもふれてみたい。
今年の祭りは13日であるが、午前9時には室生に入りたい。
午前中には各垣内の集会所に 神楽(獅子舞)がやってくる。初めにひとしきりかまどの前(屋内)で獅子舞が舞われる。そして集会所の広場で餅をつく、その間中は神楽が舞われる。村のみなさんと交流できる最大の場である。室生の祭りはここから入りたい。
a0237937_22531999.jpg

それが無理なら、正午に太鼓橋である。太鼓橋、出るところからお渡りを追っかけて、室生の祭り、存分に楽しもう。
by koza5555 | 2014-09-20 23:10 | 室生・室生寺 | Comments(0)

エリアキャンペーン「室生・赤目・伊賀上野」

今年の近鉄エリアキャンペーンは「室生・赤目・伊賀上野」である。
「沿線観光資源の面的な掘り起こし」「地元と連携した観光強化」として、年に一回、エリアを決めてキャンペーンを行っている。
始めが「飛鳥・吉野地区」、昨年の第2回は式年遷宮の「伊勢志摩」、今年は「室生・赤目・伊賀上野」ということで、9月13日(土)から12月まで実施される。

a0237937_20283588.jpg
昨年の11月22日のライトアップの室生寺

宇陀、曽爾、御杖、名張、伊賀市などの取り組みで、魅力なところ、訪れたいところあれこれであるが、僕のおすすめ、というか、僕が行くところを紹介したい。

まずは一番。伊賀市中友生(ともの)の見徳寺の薬師如来坐像である。三重県の最古の仏像と言われ、三重県の指定文化財である。奈良国立博物館に保管されているが、秋の彼岸の法要のために里帰りされる。秘仏であるが、このキャンペーンに合わせて特別公開されるという。僕は奈良国立博物館の仏像館で拝見したことがあるが、この像を本来のお堂で拝観したいのである
「のんびり穏やかなお顔で、いいですねえー」この、一言です。
9月23日は15時~17時まで、24日は10時から18時まで、25日は10時から12時までの時間限定で、さらに強く強く、心が誘われる。
伊賀上野市駅からバスはあるが、車が無難である。

a0237937_20352198.jpg
見徳寺薬師如来像(近鉄パンフレットから)


二番目。安産寺子安地蔵菩薩の公開である。
毎月、9日の午前は開扉しているが、10月は9日から31日にまで、それも午前10時から午後4時まで、この時間ならいつでも拝観できる。
8月9日に拝観した時、「近鉄のキャンペーンに参加することにした。10月は朝から晩まで開けます」と山村区長はとても嬉しそうだった。


三番目。室生寺である。仙台市市博物館の東日本大震災復興祈念特別展「奈良・国宝 室生寺の仏たち」(8月24日まで開催)に出陳されていた釈迦如来像、十一面観音像、十二神将像などが帰ってきている。
公開は9月13日ころとのことで、来週の連休には間に合いそうである。
8月16日には河北新報社が「入場者が5万人を超えました」と報道されているが、盛況の様子である。
「特別展は8月24日に終了して、ご仏像は奈良に帰ってきており、9月13日には公開の予定で準備をすすめている」とのことである。


行きたいところはさまざまだろうが、第三回近鉄エリアキャンペーン「室生・赤目・伊賀上野」、駅や案内所でパンフレットを入手して検討の価値、大である。
by koza5555 | 2014-09-06 21:00 | 室生・室生寺 | Comments(0)

三本松 子安地蔵菩薩

8月24日はお地蔵さまの縁日である。
「子安地蔵菩薩の御縁日御開帳法要をおこないます。ぜひお詣いりください」と宇陀市室生の三本松の山村区長からご案内をいただいた。

a0237937_9481338.jpg
大雨と洪水の警報が出るような豪雨だった。三本松中村区集会所(安産寺)

a0237937_9561138.jpg
子安地蔵菩薩。三本松のパンフレットからいただいた


平安の前期の作で、室生寺金堂の本尊(釈迦如像)の脇侍として造仏されたものである。
1600年代の末頃に室生寺を出て、三本松に移された。

今回は案内ではなく、しみじみと拝観してきた。

表情がゆったりとしており、とても優しい。
右足を軽く前にだして、左手には宝珠を持つという姿である。前傾姿勢をとり、前かがみ、前のめりで救済するために急いでいる様子も感じられる。
威厳があり、優しさと美しさがある。千年あまり、人々を見守ってきた菩薩である。
よくぞ残ってこられました。

山村区長がうれしそうに言われた。「お地蔵さんに携帯電話を持ってもらいました」と。
安産寺子安地蔵菩薩が拝観できるのは、
初地蔵が1月24日、8月の第四日曜日の御縁日御開帳、毎月の9日の午前中である。

それ以外にも志納・寸志という形で臨時に開けていただくことができる。ところが、その連絡、する方も受ける方もなかなか大変だったのである。そこで、子安延命地蔵の専用電話を用意したとのことである。
携帯電話を持っている仏さまである。

子安地蔵菩薩の電話番号は
「090 3268 5859  安産寺ご利益と覚えてください」と嬉しそうに言われる。ちょっと語呂は合ってない感じだが、電話番号と「安産寺ご利益」の名前で、ぜひ、ご登録ください。

安産寺、国道165号線の室生、三本松の道の駅から見上げれば、看板が見える。上にも2~3台の駐車場はあるけど、初めての方は、この道の駅から歩くのが無難である。
近鉄の三本松からは徒歩で10分もかからない。

ちなみに、子安地蔵菩薩は10月9日から10月いっぱい、午前10時~午後4時(時間は少し流動的だが)、常時開扉することにしたとのことで、訪れやすくなっている。
最終決定は、もう少し先とのことであるから、お地蔵さん携帯に電話して、計画を立てるようにお願いします、とのことだった。
by koza5555 | 2014-08-25 10:42 | 室生・室生寺 | Comments(0)

室生寺 曝凉展は立秋の7日

立秋の8月7日、室生寺は曝凉展である。本坊の左手(川から見て)の慶雲殿が会場である。

a0237937_222583.jpg
曝凉展の会場は慶雲殿。昨年の写真

曝凉展は一日限りである。
曝凉展は明日のみであるが、曝凉展に準ずる秘宝展が8月8日から14日まで行われる。
秘宝展は本坊の手前の表書院が会場で9時~15時まで拝観できる。
いずれも、入山がすんでいれば、あとは無料で拝見できる。

曝凉展、「虫干しをします。拝観してください」という粋な計らいである。
普通の入山では拝観することができない仏画、仏具をはじめ古文書、什器が大量に展示される。


曝凉展の日だけであるが、無料のお抹茶の接待がある。

a0237937_2264860.jpg

これは昨年のお茶である。
葵の紋と九目結紋(ここのつめゆいもん)(本庄家の紋・・桂昌院さまの紋)がしるされた干菓子をいただける

仏像は仙台の国宝展へ大挙、お出かけであるが、涼みがてらに室生寺、曝凉展、いかがですか。
by koza5555 | 2014-08-06 22:07 | 室生・室生寺 | Comments(0)

JTB美仏に出会う旅

明日は、「奈良まほろばソムリエと巡るJTB美仏に出会う旅」である。
7月~9月にかけて12回のツアーの始めの日である。奈良まほろばソムリエが分担してガイドを務めるが、今回のシリーズ、僕は初日と最終回だけ参加させていただく予定である。

長谷寺、室生寺、聖林寺、安倍文殊院のコースで、昨年の春から何度も案内してきたコースであるが、今回は室生寺の様子が変わっている。

a0237937_911959.jpg
先週訪れた室生寺。この日は結構な人出だったが、「7月の例年の美術系の学生の見学がなくなったのがさびしい」と言われた方がいた


仙台市博物館で8月下旬まで(7月4日から)、「奈良・国宝 室生寺の仏たち」が開催されている。

「同寺にとっては例のない大規模な出陳となる。慈愛をたたえる十一面観音菩薩(ぼさつ)立像(平安時代初期)、釈迦如来座像(同)の国宝2点、12体全てがそろう十二神将立像などの重要文化財24点を含む93点が展示される」(河北新報7月4日付)と報道されており、この夏は、ご本尊の釈迦如来を除くすべての仏像は金堂からお出かけとなったのである。

明日は、その状態のはじめのガイドとなる。
金堂をどう語るか。
そこで、もともとの金堂の姿を考えてみたのである。

田中重治という方が、「室生寺金堂と創建当初の安置仏」を書かれている。
田中さんは、創建当時の室生寺の金堂は三尊形式だったとされ、可能性としては、「独尊像もありうる」との指摘をされている。

現在の金堂は釈迦如来、一体の独尊の状態であり、この田中論は大きな援軍である。

ご本尊は、始めは薬師如来として祀られたとのことである。
これだけの仏像である、田中さんは独尊仏という案に関心をもちつつ、「これだけの堂である、さすがに独尊仏ということではなく、三尊だろう」とされ、本尊は薬師如来、左脇侍(向かって右)は三本松の地蔵菩薩で右脇侍は不明であるとされる。現在の左脇侍の十一面観音像(国宝)は作風が違うということで、これにあたらず、「無くなった」とみるべきではないかと言われる。

では、どのようにして今の姿に変わってきたのか。
現在の金堂の五仏は、室町時代に春日大社の本地仏として集められたものであるとされ、
一宮は薬師を改めて釈迦
二宮は薬師
三宮は地蔵
四宮は十一面
若宮は文殊菩薩とのことである。

a0237937_918192.jpg
絵にみえるようにと、こんなパネルも作ってみた

また、ご本尊は、はじめは薬師如来だが、春日本地仏の一宮として釈迦如来と改称されたのは室町時代初期とのことである。

室生寺が興福寺の支配を脱する江戸時代に釈迦如来は薬師如来として祀られ、明治から再び、釈迦如来とされる(明治になぜ釈迦と祀り直したかは不明とされている)・・こんな歴史があるのである。

室生寺の金堂のご本尊は、薬師如来として祀られ、釈迦如来と称され、江戸時代には薬師如来に戻され、明治からは釈迦如来である。

室生寺のある堂守の方は、「ご本尊は残っておられる。本来の金堂、弥勒堂(弥勒堂、釈迦如来坐像もお出かけである)を見てもらえる」と言われていたが、今度のツアーではこのご本尊に会えて、仙台では会えないのである。

こんなことなんだろうか。

7月6日のお客様はほとんどが関東の方である。
見た目というより、室生寺と金堂の歴史を語るというガイドである。

これはこれで、奈良まほろばソムリエの力が試されるというものである。
「美仏に出会えて良かった」と喜んでいただけるようなツアー、心を込めて案内するつもりである。

室生寺、金堂については、「日本の古寺美術13 室生寺」(保育社 鷲塚泰光著)を参照した。田中重治さんの論もこちらからの孫びきである。

a0237937_9273413.jpg
真夏の室生寺 五重塔
by koza5555 | 2014-07-05 10:38 | 室生・室生寺 | Comments(0)

奈良で一番古い在銘狛犬。深野の神明神社

今日は室生寺である。
その前に懸案の室生、深野に寄ることにした。

a0237937_20511893.jpg
北から入った。かんじょう綱を張った峠を越えたら深野だった


a0237937_20525575.jpg
林間のアジサイ

伊勢街道の近道として、笠間峠を抜ける道が使われたという。
東大寺のお水取り、この松明を3月12日に名張から東大寺に送る街道だったが、この街道から2キロくらい南に下がると深野の村がある。

最近は「ささゆり」を保護し、育てる村として知名度アップである。

実は僕はこちら通ってもいないのである。先日も「深野に行きたいけど、大野や三本松から歩いて行けますか?」と聞かれたが、「それは無理」とまずは否定したが・・・気になるよね。

ささゆり、そして池にその姿を映すという篠田の山桜、神明神社の狛犬と十三重塔である。

とにかく行ってきたが、知らないとはいえ、この道順が全くの大回りで・・
大野の西の緑川あたりの交差点から向淵(むこうじ)に入る、無謀にも適当に右の山道に入り、苦労して抜けるとやっと染田で、それから小原である。やまなみロードに上がり、看板を見て脇道に、ガソリンスタンドを右に折れて、峠を越えて深野である。

森に囲まれた山間の村かと思うと、これが明るい高原村である。

a0237937_20543812.jpg
ささゆりは今でも咲いていた。


神明神社の歴史は深い。
室町時代創建(境内には室町時代の十三重塔が置かれている)と言われ、元は熊野系の十二所権現とされてきたが、明治維新後にこの名になったという。
いまの祭神は大日孁貴命(おおひるめむちのみこと)(天照大御神)と大物主命で、天地の神を共に祀っているのである。

拝見したいのはこちらの狛犬である(本殿前のものではな社殿高床に置かれている)。
享保16年(1731年)の作といい、在銘では浪速や大和では最古のものという。
ただしこの狛犬は浪速・大和系ではなく中部地方の影響のものだそうで、大和で一番古いと言っても、なかなか複雑なものである。

ちなみに深野は、山を降れば名張であり、大和の盆地にはいくつもの山を越え、20キロも山の中を行かねばならない。「中部地方の影響が」と言われればたやすく納得できる場所柄である。

この狛犬は神殿高床におかれ普段は拝見できない。ご例祭の時などに開扉されるのであろうか。
a0237937_20554045.jpg
室生 神明神社
by koza5555 | 2014-06-24 21:47 | 室生・室生寺 | Comments(0)

奈良・国宝 室生寺の仏たち 仙台

7月4日~8月24日まで、「奈良・国宝室生寺の仏たち」が仙台市博物館で開催される。金堂はご本尊の釈迦如来像を除くすべて、十二神将もお出かけとなり、弥勒堂は釈迦如来座像がお出かけである

金堂、弥勒堂はそれぞれご本尊が残るのみで、すべて・・お出かけである。
搬出はほぼ終了しており、お帰りは「9月の御影供(みえく)前、9月21日までには」となっている。とくに金堂、文字通り、ガランという状態である。

a0237937_183791.jpg
東日本大震災復興祈念特別展「奈良・国宝室生寺(むろうじ)の仏たち」

「美仏に出会う旅」(JTB)を案内しているが、この仏が出かけた室生寺に10回ほど訪れるのである。
講師・ガイドの皆さんの思いはいかほどかと、とても心配である。
入山料はいつもの半額の300円である。これは、室生寺の気持ちだろうが、「これで何を見よと言うの」という関東から来られるお客様の声に、僕らは応えねばならないのである。

a0237937_18374682.jpg
この画を見てほしい。小川光三さんが合成した写真である。釈迦如来像があり、右側は三本松の地蔵菩薩、左端が十一面観音菩薩である。金堂の本来の姿がこの図だとの推定図である


室生寺の金堂はご存じだろうか。
金堂内陣の柱間は三間であり、そこに五仏の林立が窮屈である。
台座が接して立てられており、一体ごとにずらして並べられているという。集められたものである。
地蔵菩薩は光背が合わず、入れ替わりが明らかである。もともとのものは、三本松の子安延命地蔵で間違いない。
これを田中重治という方が研究しており、「室生寺金堂と創建当初の安置仏 」という論文を書かれた(40年も前である)。
田中さんは、金堂は三尊形式、独尊像の可能性もあるとの指摘を行い、ご本尊は釈迦如来、作風の共通性から左脇侍(向かって右)は三本松の地蔵像、右脇侍は失われた(現在の十一面観音菩薩は作風の共通性がない)としたのである。

この論は定着しており、これによれば、ご本尊一体(いつもは見えにくい聖観音、蔵王権現、大日如来はよく見える)の金堂であるが、金堂の歴史をふりかえってみると、これも本来の姿かとも思えるのである。

こんなお話をしたい。

念のために付け加えておけば、現在の金堂の五仏は春日大社の本地仏として集められたものである。
一宮は釈迦、二宮は薬師、三宮は地蔵、四宮は十一面、若宮は文殊菩薩である。
ご本尊は、はじめは薬師如来だが、春日本地仏として釈迦如来と改称されるのは室町時代初期とみられ、さらに江戸時代には薬師如来として祀られ、明治から再び、釈迦如来とされるという経過を経ている。

あれこれややこしいが、重ねて整理すると
①始めから金堂に安置されたのは、現在のご本尊だけであること(今回も残っている)。
②このご本尊は薬師如来として造られたが、春日本地仏で釈迦如来とされ、江戸時代には薬師如来(江戸増築部分の蟇股に薬壺あり)とされ、明治に釈迦如来とされたのである。

見た目というより、金堂の歴史を語るというガイドである。
これはこれで、奈良まほろばソムリエの力が試されるというもので、このガイドに心に期するものもあるのである。
台風による五重塔の破損した時に、全国からの支援により修復された。「それへの恩返し、東日本大震災からの復興を祈念するために」、という室生寺の心意気も紹介しながらであるが・・・・

a0237937_1832283.jpg
新緑の室生寺金堂
by koza5555 | 2014-06-12 00:02 | 室生・室生寺 | Comments(0)