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奈良・桜井の歴史と社会

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前方後円墳は巫女の姿を表す? 『卑弥呼と天皇制』

王権の誕生と記紀神話。奈良女子大学の小路田泰直(こじたやすなお)教授の本である。小路田さんは近代政治学、いわば古代は門外漢だが、チャレンジしようという本という理解である。

まずは箸墓古墳

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小路田康直さんは、卑弥呼をヤマトトトヒモモソヒメに比定する。(p59)

ヤマトトトヒモモソヒメ(卑弥呼)は大物主と結びつき、絶大な影響力を発揮する。

ヤマトトトヒモモソヒメ(卑弥呼)が共立され、人々の崇拝、崇敬を集める。

しかし、ヤマトトトヒモモソヒメ(卑弥呼)は、祀るべき祖先神がないことに気づき、自らが祖先神になるために死を選んだ…姫は規模、内容が画期的な箸墓古墳に祀られた。

これが小路田さんの結論である。


こんな論理なら、「大物主を祖先神にしたらよいのでは」など、納得できないところはいくつもあるが、面白い論でもあった。


箸墓古墳の前方がバチ状なのは、巫女の姿を模したもの・・という論も初めて読んだ。

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所在地論争で啓示をうけたことがあるので紹介しておく(p62あたり)。

小路田康直さんは、「邪馬台国の所在地論争が1910年(明治43年)に始まったことに注目」された。日韓併合があり、大逆事件が起きた年である。日露戦争後の日本の針路が大きく変わった年でもある。「脱亜入欧」、「アジアの日本でなく、アジアの中でも特別の日本」を作ろうとしている年だった。

邪馬台国の所在地論争はその時に発生する。

東京大学の白鳥庫吉(しらとりくらきち)は魏志倭人伝の里程の不思議さに注目して、それを扇子状に解釈して、「邪馬台国は九州に収まる」と唱え、それに対して京都大学の内藤湖南が常識的な大和論を展開した。

この論争は「徳島県の中学校教師、笠井新也の「邪馬台国は大和である」(1922年(大正11年))で決着が着いた」というのが、小路田さんの結論だ。

笠井は魏の使いは瀬戸内海ではなく日本海を経たとした。行程の最後に出てくる「投馬国」は出雲である。投馬を「つまこく」と読み、これは出雲に近いとする。

日本海ルートの笠井案は、今でも魅力的であるが、学会からは無視される。

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そもそも白鳥庫吉が「邪馬台国論争」に加わったのは、

「女王国より以北、その戸数・道理は得て略載すべきも、その余の旁国は遠絶にして得て詳らかにすべからず」の文を、『魏志倭人伝』に見たからである。

南は東にという原則で見れば、以北は以西である。

白鳥庫吉にとって、邪馬台国が大和であれば、九州に至るまで魏使の目に留まって(略載 ほぼのせる)いたことを意味し、いわば日本全土は中国の文化の影響下にあったということを意味した。しかし、これでは当時の日本が必要としていたイデオロギーに応えられないものだった。

邪馬台国を九州とするならば、「中国の影響は九州にとどまり、詳らかにできず」と書かれ、より文化の高い大和は中国の影響下ではなく、歴史もはるかに古いという論である。これは、本居宣長の邪馬台国=九州女酋論の焼き直してもある。

このイデオロギーには笠井論はひとたまりもなかった。

本居宣長から明治時代の白鳥庫吉に至る「邪馬台国九州論」は日本の歴史の古代への肥大化の中で考え出されたものである。

問題は「現代はどうなつているか」であろう。

高島先生の有名な主張を紹介して、現代の論争も付け加えておきたい。

「邪馬台国九州論」の高島忠平(佐賀県)さんは、「邪馬台国は大和でなければどこでも良い」と言い切る。3世紀段階で大和に邪馬台国があれば、それは大和朝廷に直結する政権となる。高島さんは古代の日本はもっとバラバラで、もっと政治的には遅れた状態でなければならないと考えられているようだ。大和に邪馬台国、大和に大和朝廷は嫌なようで、もっと多発的だろうとう論拠だろうか。

少し整理して

明治時代の邪馬台国九州論。進んだ大和、中国の影響下の九州邪馬台国

現在の邪馬台国九州論。遅れた大和、中国の影響下の九州邪馬台国。


ところが、現代の考古学は、 3世紀半ばの大和は九州よりすすんだ大和の姿を示してきており、考古学の進歩の前には「すすんだ九州論は風前の灯」である。

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僕も若いときは松本清張です。それから邪馬台国と大和王権を切り離して考えたいようなイデオロギーにも縛られていました。その後の考古学が示すさまざまな証拠、事実は、邪馬台国は大和を示しています。


by koza5555 | 2018-07-26 13:30 | 邪馬台国(やまとこく) | Comments(0)

古事記の女性たち。その愛とたたかいから学ぶこと クラブツーリズム

「奈良まほろばソムリエの会」ガイド同行の『古事記』でたどる大和の旅を案内してきた。

7月の2回も含めて、昨年から数えて16回目である。一回だけ不成立だったが、16回で15回の出発確定であるので、『古事記』ツアー、なかなかの人気ものである。

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7月は18日(水)と21日(土)はいずれも催行が確定した。

18日はほぼ満席、21日は空席が十分残されている。一応、ここで『古事記』ツアーは一区切りであるので、ぜひのお誘いである。

7月は「古事記の女性たち。その愛とたたかいから学ぶこと」がテーマである。

新大阪、天王寺発で、佐紀古墳群の磐之媛命陵、箸墓古墳、忍阪は鏡女王墓、玉津島明神、石井寺の薬師三尊の拝観も予定している。それから、角刺神社、飯豊植口丘陵。

磐之媛、「やまととももそびめ」(古事記の表記)と卑弥呼。忍阪では衣通王。忍海で飯豊天皇である。

古事記とは直接の関係はないが、卑弥呼もしっかり語ることにしている。

古代の英雄や戦いを語るとき、卑弥呼なし、神功皇后なしではもの足りない。

古代は男が王、彦は王権、女性は巫女の役割という論がふつうである。

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「卑弥呼は巫女、権力を持たない」という論である。

ところが、卑弥呼はたたかい、統治する女王だという学者もいる。僕が決めた代表は義江明子帝京大学教授である。


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魏志倭人伝に描かれた卑弥呼は

「共に一女子を立てて王と為す。名づけて卑弥呼と曰ふ。鬼道に事(つか)へ、能く衆を惑はす。年已(すで)に長大なるも、夫壻(ふせい)無く、男弟有り、佐(たす)けて国を治む。王と為りしより以来、見る有る者の少く、婢千人を以て自ら侍()せしむ。唯、男子一人有り、飲食を給し、辞を伝へ居処に出入す。」

ここから、卑弥呼は国の巫女的な役割で、佐(たす)けて国を治むとされ、男弟が政治をしているとの見方がある。

しかし、義江さんはここが違うと言われる。「卑弥呼は国の乱れを治める王、佐(たす)けてというのも、あくまでも助けてであり卑弥呼に王権あり」とされるのである。

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ワカタケル(雄略天皇)を佐(たす)けてと、稲荷山鉄剣には刻まれているが、誰もワカタケルに実権がなかったなどとは言わない。

なんで女性の王の時は佐(たす)けてと書かれただけで、実権がなかったなどと決めつけるのかと言わる。

日本書紀は卑弥呼を神功皇后に当てはめている。

神功皇后の力は

神の言葉を聞く力

武装して軍隊を率いてたたかう能力

征服により支配地域を広げ、国を富ます力

妻であり、母であること

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同じように、卑弥呼は神の言葉が聞けて、たたかい、統治するというスーパーウーマンである。記紀が書かれた600年代、卑弥呼のイメージは巫女であり、大王であるという見方もあった。

こんな話を皮切りに、古事記に描かれた古代の女性を前例にとらわれずに紹介した紹介したいというツアーである。

こんな卑弥呼のイメージが近世に変えられたと義江さんは主張される。

弥生時代から古墳時代、古墳時代から飛鳥の時代にかけての女性の王の役割が劇的に変わっていくことが証明される。

巫女とか巫女埴輪、衣通王の愛、飯豊天皇の苦悩を解明する。

古事記ツアー、最後に女性天皇、女性王の権力の歴史、役割を語り、その結末を解明する。

僕もワクワクしている。



by koza5555 | 2018-07-04 22:08 | 万葉の旅 | Comments(2)

古代の醸造、酒造りのあれこれを

『卑弥呼は何を食べていたか』。廣野卓著。2012年。

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「卑弥呼の呪術と桃」については先日、書いたばかりだから、廣野さんが書いたテーマから、古代の醸造、酒造りのあれこれを考えてみたい。

先日、古事記をテーマに大神神社を案内した時、酒作りが話題になった。

「この神酒(みき)は、わが酒ならず、大物主の醸みし神酒」である。古代の酒造りは人が米、味飯(うまいい)を噛むところから始まったとされる。

「未婚の女性が噛んだと聞くけど、大物主が噛んだ酒だろうか。大物主は女性だろうか」という質問だった。ソムリエの会の古事記ツウ、神様ツウの田原ガイドもタジタジとなった。

これを考えてみた。

お米を炊いて、それを噛んだコメ作りはあったようである。

しかし、それを古代の人も不潔感を感じていたという証拠がある。

乙女が噛んでも同じである。

「だから、神に噛ませる、神に醸ませる。それで不潔感を払拭」と、日本書紀の崇神条は書いたんではないだろうか」と、廣野卓先生が『卑弥呼は何を食べていたのか』で書かれている。

味飯(うまいい)を水に醸みなし 我が待ちし かひはかつてなし 直にしあらねば(巻16-3810

『大隅国風土記』である。ある家が米と水を用意して村に告げまわります。村の男女が集まってコメを噛んで酒槽に噛んで入れます。酒の香りがしてくると、また集まってそれを飲みます。これが口噛みの酒。噛んでペッである。

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しかし、やはり不潔という意識はある。現代人は無論のこと、古代の人も同じである。

スサノオ命の神話を思い出してほしい。穀物神オオゲツヒメが口から食物を出して饗応したので、スサノオ命は不潔だと怒ってオオゲツヒメを剣で斬っている。

この不潔感を払拭するために、未婚の乙女が噛んだり、村人全員で噛んだ。

さらに不潔感はぬぐい切れないので、「この神酒(みき)は、わが酒ならず、大物主の醸みし神酒」として、「神様が噛んだ酒」だからと、不潔感を払拭した。

大物主は女性ではなく、男であるが・・神である‥というのが結論である。

神と酒の歴史では、大神神社の大物主が酒の関わりの大本である。

『崇神記』には、大田田根子を祭主として、高橋活日を掌酒(さかびと)に定めて、大物主神を祀らせてとしている。

「この神酒(みき)は、わが酒ならず、大物主の醸みし神酒 幾久 幾久」

これが縁起となって大神神社の祭神を酒神とする伝承が生まれる。神酒と書いてミワと訓するようになり、味酒(うまざけ)が三輪山の枕詞にもなる。

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ところがこの酒の神はスクナヒコ神が本来の神の可能性があるというのが、廣野卓先生の託宣である。

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      大阪市土修町の少彦名神社

大神神社は三輪山の奥津磐座を大物主神、中津磐座を大国主神、辺津磐座をスクナヒコナ神を祀っている。

スクナヒコナ神は大国主神に協力して、さまざまな生産技術を伝授し、豊葦原の中ッ国を築く産業神で、薬神が祀られている。

製薬業界にも崇められる。薬の町大坂の道修町では、少彦名神社の祭日(1223日)を「神農さん」と呼んで和漢の薬神が祀られる。酒より薬ということだが。

『仲哀記』によれば、少彦名神が酒の神である。

「この神酒は わが神酒ならず 酒の司(くしのかみ) 常世にいます 石立たす 小名御神の 神寿き(かみほき) 寿き狂ほし(ほきくるほし) 寿きもとほし 献り来し(まつりこし)神酒ぞ 乾さず食せ(あさずほせ) ささ 」

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竜田大社の例祭の祝詞(天武天皇(律令)の頃から行われている)に照らして考えてみよう。

神酒ならべ 和稲(にごしね)・荒稲(あらしね)に

山やまに住(す)む物ものは

毛(け)の和物(にこもの)・毛(け)の荒物(あらもの)

大野原(おほのはら)に生(お)ふる物は甘菜(あまな)・辛菜(からな)

青海原(あをみのはら)に住(す)む物ものは鰭(はた)の廣物(ひろもの)

談山神社の百味の御食で、和稲、荒稲を語っているが、

海の魚、鰭(はた)の廣物(ひろもの)を教えてもらった。鰭(ひれ)が大きいと廣物でタイとされ、鰭が小さいと鰭狭物‘(はたのさもの)で鯉という。

鰭はあまり違いがないが、体高で決めていたらしい。

神饌を考えると古代の食物にあたるらしい。日常的に、あるいは特別に食べているものが神饌として供えられていたからだ。

食べ物と酒のことでした。


by koza5555 | 2018-07-03 21:15 | 読書 | Comments(0)

なかじまゆたか作品展  奈良まほろばかるた原画

「奈良まほろばかるた」の原画を描かれた中島豊さんの「なかじまゆたか 作品展」が開催される。

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奈良まほろばかるたは「NPO法人奈良まほろばソムリエの会」の啓発グループが中心となって作成した。

「いまどきかるた?」との声をはじめは聞いたが、このカルタは好調に販売が進み、刷りましに成功した。カルタも出版物とみれば、重版出来(じゅうはんしゅったい)である。

読み札が軽快で、読み札の裏面に書かれた解説も好評である。

奈良県がバランスよく紹介されていることかうれしい。

「神武天皇の即位」をテーマにした古事記ツアーに参加されたKomazaさんは、見学場所をカルタで紹介されていた。

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しょだい じんむてんのうまつる かしはらじんぐう

みわやまは おおみやじんじゃの ごしんたい

れいきに さらしてつくる みわそうめん

ろまんある さいこのこどう やまのべのみち

(奈良まほろばソムリエの会編「奈良まほろばかるた」より)

また、福井県の石亀さんも、「孫とまほろぼかるたでたどる奈良旅行をしてみたい」と書かれた。

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そして、このかるたの魅力の根源は絵である。

中島豊さんが描かれた。ゆったりと穏やかで、何とも言えない奥深さの気分の絵である。

「この絵を見ていただきたいということで、「なかじまゆたか 作品展」が開催される。

発刊本挿絵原画と奈良まほろばかるた原画が展示される。

奈良まほろぼかるたの原画は44枚、すべてを展示、得難い機会である。

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7月6日(金)、7日(土)、8日(日)に奈良県立橿原文化会館(橿原近鉄百貨店の東側・八木駅からはどんな雨が降っていても歩いて行ける)である。

時間は午前930分から午後430分まで。

入場料は無料。

ぜひ、おいでいただきたい。


by koza5555 | 2018-07-02 07:18 | 奈良県 | Comments(0)