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奈良・桜井の歴史と社会

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奈良まほろぼソムリエの会の研修旅行

奈良まほろぼソムリエの会の第4回研修バスツアーの募集をいたします。今回は12月8日(土)に東播磨の浄土寺(小野市)・石の宝殿(高砂市)を訪れ、兵庫県では最大規模の神戸市内の五色塚古墳を見学いたします。講師は奈良まほろばソムリエの会の木村三彦顧問です。

浄土寺は東大寺の復興を目指した重源が建てた播磨別所。大仏様で作られた浄土堂、堂内の中央に祀られる阿弥陀三尊像、東大寺を考えるうえでは必見ものです。

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生石(おうしこ)神社とご神体の石之宝殿。益田岩船との対比も考えながら、その真相を探ります。


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明石海峡にそびえたつ五色塚古墳は古墳の成り立ち、役割を考える上での興味が尽きません。

奈良の歴史を複合的に考えるうえでは最適の社寺と古墳をとり上げ、「バスだからこそ行ける」という行程を準備いたしました。ぜひ、ご一緒にお出かけいたしましょう。

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日時は12月8日(土)。近鉄奈良駅(春日ホテル前)午前820分。JR奈良駅(西口・ホテル日航前)午前830分発で、近鉄奈良駅に1730分頃に帰着する予定です。

また、研修ツアーの詳細は「奈良まほろぼソムリエの会」のHPの『お知らせ』で告知いたしております。

お申し込みは、後述のメールへ、送信お願いいたします。


申し込みには以下の項目をご記入してください。

氏名、当日に連絡ができる携帯電話の番号、乗車場所(近鉄奈良駅前・JR奈良駅前)


参加費は9,000(昼食付) です。

定員(40名)になり次第、受付を終了いたします。料金は当日払いですが、12月4日(火)以降はキャンセル料をいただきます。では、ご検討、ご参加、よろしくお願いいたします。



NPO
法人 奈良まほろばソムリエの会

担当 雑賀耕三郎

メール kozaburo@cg8.so-net.ne.jp

一緒に参りませんか。

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by koza5555 | 2018-08-26 14:32 | 奈良まほろばソムリエの会 | Comments(0)

専行院と修陵餘潤之碑

毎日新聞、8月23日(木)のディスカバー奈良は「修陵餘潤之碑」(しゅうりょうよじゅんのひ)を書いた。

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全文は以下の通りである。

天理市柳本町の専行院(せんぎょういん)には、柳本織田藩の歴代の領主の墓碑と合わせて、「修陵餘潤之碑」(しゅうりょうよじゅんのひ)という自然石の大きな碑が立てられています。

専行院の東方には崇神天皇陵があり、陵をめぐる巨大な周濠を見ることができます。もともとは小さかった周濠を巨大な池に作り替えたのは幕末の織田藩の修陵の工事でした。織田藩は修陵の工事と合わせて、周濠の拡大により灌漑用水の拡大を図ったのです。

陵、周濠の改修により、多くの田に潤いの水が届けられることになりました。時を経て、水の恩を受けた農民が、田植えを終わった時期に専行院に集まり、織田藩の領主の法要を始めました。この法要は今も続いています。そして、陵を修理して水の潤いを受けたと記した「修陵餘潤之碑」を境内に立てて、感謝と喜びの気持ちを表しました。(奈良まほろぼソムリエの会副理事長 雑賀耕三郎)

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 専行院は天理市柳本町1474番地、JR桜井線柳本駅から徒歩で約10分である。 駅前から黒塚古墳、崇神天皇陵へ東に向かう道から見ると、右手、もう一筋南の路である。車で行くならば、駐車場は大きくて安心して停められる。

 

 この専行院で藩主祭という法要が、毎年7月の第二日曜日に行われている。

 柳本連合自治会の主催で、東京から織田藩の当主を招き、町内の主要団体が集まって法要を行う。

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専行院 松村順雅住職を導師として法要が行われる。

さらに「祭文(さいぶん)」を、森脇完一天理市柳本連合自治会長が読み上げた。

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祭文の要旨は以下のとおりだった。

本日、ここに旧柳本藩主織田信成公並びに織田家歴代のご尊霊を招き、専行院に祭壇を設け織田毅様、日高美智子様、天理市長並河健様をはじめ関係各位のご臨席をいただき、柳本町民、一同と共に頭を垂れて法要を営みます。

顧みすれば、初代織田尚長公の入部以来、織田家は歴代の藩政を担われました。

なかでも第12代 信成公は特に勤王の志厚く、かねてより崇神天皇陵の荒廃を憂い、嘆かれ、公儀の允許を得て 元治元年9月17日に、これの修補に着手され、

人夫57998

工費 銀598

並びに食料米等を支出し、親しく工事を督励して、翌年2月に、その竣成を遂げられました。

御陵の周囲には6町4反の土塁を巡らし、比をみない濠を作られました。古来柳本町は水利に乏しく、年々灌漑用水の枯渇に悩まされていましたが、山稜御修陵以来、貯水を利用して、耕作をすすめて、領民等しく蘇生の思いをいたし、水利の潤いを受けてきました。

今日、住民の生活様式は変革、農業経営の変貌など生活の在り方は変化しました。農業用水だけなく観光・景観など修補の益はますます大きくなっています。

慎みて霊前に向かい、住民を代表して感謝申し上げ、歴代御霊代のご冥福を祈念いたします。

平成3077   天理市柳本町自治連合会会長 森脇完一

崇神天皇陵をぜひ訪問していただきたい。その陵と周濠があなたの心を打つことは間違いない。そして、専行院を訪れて修陵餘潤之碑もぜひとも拝見していただきたいのである。

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by koza5555 | 2018-08-23 05:07 | 天理・山の辺の道 | Comments(0)

鏡女王忍阪墓と談山神社の東殿

 「談」(かたらひ・談山神社社報)90号(8月15日発行、桜井市のすべての新聞に折り込み)では、「鏡女王忍阪墓で恋と愛を考えてみた」と題して、鏡女王の人生・・忍阪鏡女王墓を守る忍阪の生根会のことを書いてみた。

 談山神社の東殿は鏡女王(かがみのおおきみ)をご祭神として祀っている。

大和三銘段という正面の石段を登り、拝殿の手前を右手に入ると鏡女王を祀る東殿に至る。この東殿には「恋神社」と書かれた真っ赤なノボリがはためき、縁結びの神様として特別に華やぎのある社殿となっている。



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談山神社東殿の鏡女王祭。6月の第二日曜日

6月の第二日曜日は、この東殿で鏡女王祭が行われる。長岡千尋宮司は「秋山の 木の下隠り 行く水の 我こそ益(ま)さめ 御思ひよりは」と、鏡王女の万葉歌を祝詞に織り込んでその霊を鎮める。さらに式典後のあいさつでは、「鎌足公は本殿に、正室の鏡女王は東殿にと、境内でご一緒にお祀りしている。これは神社の誇りである」とお話しをされた。

鏡女王忍阪墓

 古代の皇族の陵墓は平安時代の延喜式という書物にまとめられている。そこには「鏡女王、大和の式上郡押坂陵(舒明天皇陵のこと)域内東南」と書かれていて、

1、鏡女王墓は舒明天皇の陵内の東南にあることがわかった
2、鏡女王と舒明天皇の墓所は同じ地域内にあり、その結びつきの強さがわかった。そこから、鏡女王は舒明天皇の皇女か皇妹との見方が生まれた。

この鏡女王墓は談山神社が所有している。そして草刈、清掃、枯れ木・枯れ枝の撤去などは忍阪の生根会(忍阪区老人会)が行っている。

生根会の東井義之会長にお話を聞いた。

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東井義之生根会長(忍阪老人会長)

「鏡女王墓の管理は生根会が行っています。5月に一年の初めの草刈を行い、折々に清掃を行います。また鏡女王祭の前日には、忍阪で墓前祭を生根会が行います」と語られる。

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今年の5月に行われた鏡女王墓の草刈と掃

祭や清掃だけではなく、忍阪のみなさんの陵墓への思い入れは熱いものがある。区から外鎌山にかけて舒明天皇陵、鏡女王墓、大伴皇女墓が点在するが、これを総称して「三陵墓」と呼ぶ方がいた。中でも鏡女王墓は、親しみを込めて、「中の御陵さん」と呼ばれているようである。

万葉学者の犬養孝は、鏡女王墓は「草ぼうぼうに荒れていた」と、『万葉の旅』に記したが、現在は忍阪の生根会がしっかり管理をされているのである。

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忍阪生根会による 鏡女王忍阪墓前祭。談山神社の東殿の鏡女王祭の前日に行われる

藤原鎌足公と鏡女王のこと

鏡女王は天智天皇の后であった。その後、臣下の鎌足公の妻とされた。

先に述べたように鏡女王は舒明天皇の皇女の可能性が指摘されている。臣下との結婚は望むものではなかったようで、「私の名を惜しむ」と恨みの歌も残している。

しかし、共に日を過ごすうちに、鏡女王の鎌足に対する思いは変わっていたとみることができる。

それを興福寺の創建の歴史にみることができる。

鏡女王は夫、鎌足の病の平癒を祈って仏殿建立を発願する。鎌足は恐れ多いとそれを許さなかった。しかし、女王の強い願いに最後は押し切られて山階寺が建立されている。鏡女王が発願した山階寺はその後の興福寺となっていく。鎌足公と鏡女王の夫婦愛は興福寺の始まりの力となった。

さて、東殿は恋神社、縁結びの神として祀られている。

鏡女王の鎌足公への思い入れが深まる歴史、そして、その女王を大きく包み込んでいく鎌足公の力強さが読み取れる歴史がある。

恋を求める若者を引き付ける力がある東殿だが、同時に鎌足公と鏡女王の熟年の夫婦愛を学ぶ、夫婦のあり方も強く考えさせられる、そんな東殿ともいうべきだろう。

 談山神社の東殿、忍阪の鏡女王墓をぜひとも訪ねてみよう。

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by koza5555 | 2018-08-14 21:52 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

益田岩船(橿原市)と石の宝殿(兵庫県高砂市)

橿原市の白樫西集会所の奥から、200mくらい山を登ると益田岩船に到着できる。

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車であれば白樫町集会所の左の道を上がっていくと、何とか駐車場所は確保できそうである。車を降りてのぼり口に行く、そこから標高差は30mでさほどの山ではない。

念の為に申し上げておくと、今の時期(5月~11月くらいまで)は、猛烈なやぶ蚊の攻撃を受けるので虫よけスプレーが必須である。

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標高130mの場所に巨大な花崗岩の石造物で、益田岩船といわれている。

東西約11m、南北約8m、高さ約47mもあり、重さは約715トンとされる。

上部の平坦面には一辺が約1.6m、深さ約1.3mの方形の穴が彫られていることが特徴である。

益田池の碑を据えた台石、天文台、祭壇などといわれているが、今では横口式石槨の製作放棄のものと言う見解に僕は賛成である。

『大和名所図会』(秋里籬島著 寛政3年 1791年)にも、益田岩船として紹介されている。

文は「暮れ行く春のかたみには深山(みやま)の花のまた散りのこり、岩つつじ咲き乱れの眠れるをりふし、時鳥(ホトトギス)の初声におどろきけるも一興とやいわん」と、村人の遊びの場となっていることを紹介し、岩船は「益田池の碑の台座」であり、碑は高取城に取り込まれたとの言い伝えがあるとしている。(『奈良名所むかし案内』本渡章参照)

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兵庫県の高砂市の生石(おうしこ)神社を訪れるツアーを計画している。

神社のご神体は石の宝殿と呼ばれ、凝灰岩の岩山の中腹を削って作られた巨石である。水面に浮かんでいるようにも見えて、浮石ともいわれる。

2014年(平成26年)10月には、「石の宝殿及び竜山石採石遺跡(いしのほうでんおよび たつやまいしさいせきいせき)」として、国の史跡に指定されている。

6.4m、奥行き7.2m、高さ5.7mで重さは500トンを越えるとみられる。

 誰が何のために作ったのか、なんでこの形で残されているのかが不明である。

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 『播磨國風土記』(713年ころ)の印南郡大國里條にある記述には、

「原の南に作り石あり。形、屋の如し。長さ二丈、廣さ一丈五尺、高さもかくの如し。名號を大石といふ。傳へていわく、聖徳の王の御世、弓削の大連(ゆげのおおむらじ)の造れる石なり」との記述があり、「弓削の大連」(物部守屋)が造ったとされている。横穴式石槨の施主が物部守屋、守屋の没落によって、放置されたと考える論に僕は惹かれる。

 大石であり、いずれも横穴式石槨の並び墓とみたい。明日香村の牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)にその実例もある。

 益田の岩船と石の宝殿はいずれも大石で見るものはその迫力に圧倒されるが、完成度は相当違う。

 稜線近くの大石を削った益田の岩船。

 岩盤から削りだされた石の宝殿。完成度に差があることは明瞭である。



by koza5555 | 2018-08-10 15:03 | 橿原・明日香 | Comments(0)