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奈良・桜井の歴史と社会

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三社権現の祭礼

長谷寺の今年の「三社権現」は21日の午後2時からである。旧暦の211日と決められていたが、数年前から211日を前にした日曜日に日程が変えられた。

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長谷寺の『豊山玉石集』によれば、正月朔日より14日まで修正会が行われると書かれている。この修正会は14日の結願の「だだおし」が有名だが、

6日目は柳原(初瀬)と白河(しらが)村が隔年でビンズルさんの(本長谷寺の置かれている)紙衣を取り換える「一箱ベタリ」の行事と(これは途絶えた)、


11日目には、「滝蔵権現拝殿にて化主六坊法事」が行われていた。これが俗に「三社権現(長谷寺境内)の綱掛の三社権現まつり」である。『豊山伝通記』(1723年)に正月11日の滝蔵権現の法会が書かれている。

現代文で示せば、「滝蔵権現は初瀬の村の鎮守。これは正月の祭。下ノ郷は柳原(初瀬)と出雲、中ノ郷は角柄と柳(宇陀市)吉隠(桜井市)、上ノ郷は中谷・白木・萱森で三郷はそれぞれ祭祀の頭屋を決めて、(一年間)斎戒精進する。正月11日に氏人が集まり、盛饌し厳重な儀式で修正会を行う」という事である。

それぞれの郷で当番を決めて、御供つきと注連縄を編み、「化主六坊法事」が始まる前に、餅を供え,注連縄を張り替える。


上之郷(萱森、中谷)が第一殿、中之郷(吉隠、榛原の柳、角柄)が第二殿、下之郷(柳原、出雲)が第三殿に奉仕して、綱かけを行う。(上ノ郷ノ白木は今は参加していない)

刀の形のお餅とか五重塔という五段重ねのお餅が供えられる。

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法事のあと、下ノ郷は祭祀のトウヤワタシ(頭屋の村の引継ぎ)を行う。今年は柳原から出雲への引継ぎとなる。カワラケにお酒を注ぎ、黒豆、豆腐、ごぼうと決められものが出されて、酒を酌み交わす。

当屋(上・中・下)を務める間は補任状が出る。これは道中手形として使えるものだった。

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下之郷の今年は出雲が頭屋を受ける番でお供えつき、注連縄を綯う。
ヤドは中谷家、午前8時に集まり作業、午後1時くらいには長谷寺に上がるという日程と聞いた。

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参考文献『初瀬・多武峰山麓の民俗』(奈良県立民俗博物館 平成10年に発行)



# by koza5555 | 2020-01-27 20:44 | 桜井・初瀬

菩提もと清酒祭

111日は正暦寺(奈良市菩提山町)にて「菩提もと清酒祭」が行われた。

「奈良県菩提酛による清酒製造研究会」(菩提研)が、室町時代(1400年代)、正暦寺で行われていたという「菩提もと(酒母)」の製造を復活・再現して、それを各酒蔵に持ち帰って清酒を作るという。

「菩提研」には今西酒造(桜井市・三諸杉)、上田酒造(生駒市・嬉長)、葛城酒造(御所市・百楽門)、菊司醸造(生駒市・菊司)、北岡本店(吉野町・やたがらす)、倉本酒造(都祁吐山町・つげのひむろ)、八木酒造(高畑・升平)、油長酒造(御所市・鷹長)の8社が参加されている。


室町時代の酒造記、『御酒之日記』(ごしゅのにき)にそって、清酒の酒母(しゅぼ)が作られる。

ちなみに正暦寺は「酒母」の製造免許を受けており、この免許を得ているお寺は奈良県では他にはないとのことである。


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11日に行われたのは、この「酒母」を作るための仕込みだった。


蒸米と麹とそやし水をタンクに投入する。


蒸米・・これは、地元のヒノヒカリとのことである。今日は盛大に蒸し上げる。300キログラムほどである。

麹は「菩提研」参加している酒蔵が、順番に準備するとのことである。今年は生駒市の上田酒造が用意したと聞ききました。

「そやし水」といわれる水が加えられる。この水が菩提もとのカナメらしい。

そやし水は3日ほど前(7日)に仕込みがある。生米(今日、蒸したお米)と水、少しのごはんに、「正暦寺乳酸菌」を混ぜ合わせるのである。そやし水作りに生米を使う事が特徴である。この工程を初度仕込みという

蒸米を4割、麹を2割、そやし水を4割の調合で発酵タンクに入れる。

蒸したお米を境内に広げて、手早く冷やして発酵のタンクに入れていく。

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仕込みを終えて境内、作業場の片付け、清掃をしてから、菩提酛の順調な発酵、育成を祈る正暦寺住職のお勤めがある。

御幣が立てられ、般若心経が唱えられる。ご真言は「オンコロコロセンダリマトウギソワカ」で、正暦寺ご本尊(重要文化財)の薬師如来であるが、お酒の精に向かってとみると、‥いかにもお酒・・薬で、良い具合だろうか。

御幣が8本、各蔵元はこれを持ち帰る。


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順調にいけば、タンクで菩提酛(酒母)が育ち、「元分け」(持ち帰って清酒をつくる)は10日先(21日の朝9時ころから)の事という。

菩提酛は水、麹、蒸米が三度に亘って加えられて清酒となる。

水が異なり、米も異なることから、菩提酛と言っても、お酒の味はそれぞれである。

お酒の出来は、三月に大阪国税局鑑定官室、奈良県産業振興総合センター、菩提研のメンバーで評価、講評したのちに商品として売り出されるとのことである。

僧侶、各酒蔵などの菩提酛研究会のメンバーなど、そろっての記念写真の撮影である。

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正暦寺、冬はやはり、ナンテンだろう
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# by koza5555 | 2020-01-11 20:39 | 天理・山の辺の道

長谷寺の十一面観世音菩薩の閉帳と開帳の法要

奈良の長谷寺、十一面観世音菩薩様は常に拝観することができるが、大晦日の午後4時から元旦の0時までは、帳が降りていて拝観することができない。

大晦日の16時から帳を閉める閉帳法要、0時に開帳法要が行われる。一年に一度の閉帳、観音様のお休みである。


いつ頃からの行事かと考えてみると…実は閉帳が本来の長谷寺の姿かとも思えるのである。

長谷寺の歴史を綴る『初瀬寺験記』という物語がある。


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                『長谷寺験記』


この験記の初めに、聖武天皇が長谷寺に参拝したというお話が出てくる。


かいつまんで紹介すれば以下のとおりである。


聖武天皇は天平勝宝元年(749年)に退位し上皇となる。天武上皇の夢に僧が出て、「長谷寺において三宝を供養し、後代の皇孫を祈るが良い」と告げた。『最勝央経』と『法華経』を書写、能筆にもそれぞれ10部書写させて、長谷寺に向かった。それは753年の事で、1118日に法要を行い、その夜に観音様が上皇の夢に出てくる。


「濁った世の中の猛々しい衆生の心を和らげることができるのは女人である。私はこの身の光をやわらげて、女人の姿に身を現わし、久しく末代に及ぶまで国家を護り、衆生に利絵益を与えよう。


ところで、いつもこの姿を見せていると、はばかりがある。皆に飽かれるから、自分の姿はみ帳をかけて、隠して、この中には女人の姿をした立派な観音様がおられる」と、観音さん様のお告げが聖武上皇のされた。それ以来、長谷寺はみ帳を掲げて、十一面観音菩薩を秘仏とした。」とある。『長谷寺験記』より


十一面観音は女性の姿をしていること、秘仏にする理由が記されている。


 

「観音様は秘仏、常にみ帳がかけられていた」というのは、『験記』からの事かと思える。

秘仏ありきで、聖武上皇の夢占いは後講釈かとも思えるが、ここは『験記』を信じてみよう。

こんなところから、「いわゆる裏観音」を拝観させるシステムもできてきたのだろうか。


ところがやはり、観音様を拝みたい、拝観したいという声が出てくるのも自然の習いである。

長谷寺再興(真言宗豊山派)には、豊臣秀長の力が大きく働く。観音様を「拝みたいものは金一両を添えて」という、ご開帳の基準が豊臣秀長によって決められたという。


江戸時代に入ると、開帳の状態は通常で、例えば本居宣長は普通に拝観しているし、お正月は「寅の刻、御帳をそろそろと卸奉れば」で、朝の4時に開帳、それが「暁天開帳」と言われる時代になっている。

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                 閉帳されている観音様


ちなみにこの開帳は、明治からは午前6時に変わり、現在は大晦日の午後4時閉帳、元旦の午後0時に開帳と変わっている。



人力のころはゾリッ、ゾリッと帳が上がっていったようであるが、現在は電動でするすると下がり、するすると上がるので、注意してみていなければならない(笑)。


# by koza5555 | 2019-12-23 23:12 | 桜井・初瀬

さる祭り(天理市福住別所)

福住町別所(天理市)の「さる祭り」、今年は12月22日に行われた。


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婆羅門杉の下の坊


従来は12月23日の天皇誕生日の行事だったが、23日は今年からは祭日ではないことから、「今後はそのあたりの日曜日に実施」と変わったそうである。

福住町別所の「さる祭り」は、地区の男子が旧暦の11月の申の日(12月下旬)に集まり、山の神を山の祭祀場へ送る行事である。

もともとは中学生、小学生の男子の行事だった。大将・副将を決め、祭の準備、行事後の炊き込み御飯をつくる段取りまで、すべてを子供たちで差配して祭は行われていたとのことである。

今では少子化の下で、行事は自治会が中心となり、更に女子児童の参加も求めて行事は行われている。注目すべきところは、子どもの祭であるとの趣旨が通されていて、祭の大将、副将は今でも子どもで、大将は勝田君、副将は舛田君だった。

祭は下の坊(バラモン杉のあるお寺 ご本尊の十一面観音像は奈良県の指定文化財である)で準備する。午前8時くらいから、次々と軽トラックが集まってくる。子どもも一緒に集まる。

参加者、役割の分担をするが、主としてはほぼ全員でひたすら縄をなう。縄の長さがポイントのようである。2時間ほど綯い続けて、出来上がった縄が巻かれ、笹竹にかける。


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 小学校4年生の勝田君もどんどん綯っていく

御幣、縄を持ち、山の祭祀場に出発する。掛け声は「せんざい、まんざい、ごくよう、あさめしくった、はらへった」で、意味は不明である。


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山の祭祀場では、祭壇を造り、周りを何重にも縄をかけまわす。


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最後に、付近の木の肌に、「2019.12.23  12回  勝田 舛田」と彫りこんで祭は終わりである。

「里山における水田農耕の守り神信仰であり貴重」として、天理市無形民俗文化財に指定されている。
村の集会場にはおいしい、炊き込みご飯が用意されており、そのおいしさに、図々しくもお替わりまでいただいた。

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# by koza5555 | 2019-12-22 17:31 | 天理・山の辺の道

維摩経と談山神社(藤原鎌足)

今頃になってしまったが、11月17日、談山神社は「例大祭」を斎行した。
鎌足公は天智8年10月16日に亡くなったと記されている。これを新暦に置き換えて11月16日に鎌足公を祀り、しのぶ神社では第一の大祭である。

今年は1350年遠忌とのことで力が入り、宮司の祝詞のあと、舞楽(蘭陵王は南都楽所)、長谷寺の学僧による「法楽」(ほうらく 経を読み、楽を奏して神仏を楽しませる)で、神仏習合の祭祀が執り行われた。


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また、ご神前には維摩居士像の額も飾られた。


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で、今日は『万葉集』を紹介したい。
巻8-1594に「仏の前の唱歌一首」がある。この仏・・・が藤原鎌足である。

時雨の雨 間無くな降りそ 紅に にほへる山の 散らまく惜しも」『萬葉集』 巻81594


左注に丁寧なお断りがある。

「右、冬十月(かみなつき)、皇后宮(おおききさきのみや)の維摩講(ゆいまこう)終日(ひねもす)大唐(おおもろこし)・高麗(こま)等の種種(くさぐさ)の音楽(うたまひ)を供養し、しこうしてすなはち此の歌詞を唄ふ。琴弾きは市原王、忍坂王(後、大原真人赤麻呂ヲ賜姓フ)。歌子(うたひと)は田口朝臣家守(やかもり)、河邊朝臣東人、置始連長谷(おきそめのむらじはつせ)等、十数人(とたりまりのひとなり)」

維摩講は藤原鎌足がはじめたといわれ、天平5年以後は毎年1010日から16日まで、興福寺で行われた。ここは鎌足の孫にあたる光明皇后が皇后宮で行ったもの。(萬葉集・小学館から)

歌は天平11年冬10月の歌である。左注にあるように、中国や朝鮮の歌を「終日」演奏し、唄って供養したという。どういう風に演奏されたか、また歌われたかの興味が尽きない。

この天平11年(739年)というのは藤原鎌足の70回忌で、孫の光明皇后が維摩講をあげ供養した。鎌足が亡くなったのは天智8年(669年)ですから。

題詞は「仏前の唱歌(しょうが)一首」でして、音楽に合わせて、みんなが歌った。

歌は「モミジが散るのは惜しい、雨よそんなに降るな」という歌である。1016日という事だが、新暦に直したら1116日、モミジが散る季節ではあったのだろう。談山神社のモミジもこんなところから始まっているのだろうか。

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# by koza5555 | 2019-12-11 23:08 | 万葉の旅