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奈良・桜井の歴史と社会

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あおがき古事記講座 藤井稔さん

桜井市の中央公民館が「あおがき古事記講座」と題して、「みんなで古事記について学びませんか」という講座を企画した。

9月から12月までの第2土曜日、4回の講座である。講師が不明だったが、7月に申し込んだ。

講師は天理高校2部教諭の藤井稔先生だった。
七支刀と石上神宮の禁足地について研究を重ね、このほど天理大学から博士号を得たとのことである。「石上神宮の七支刀と菅政友」(吉川弘文館)の著作があるとのことである。

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桜井市の広報紙に掲載された案内

第1回は、「古事記とは」と「天地(あめつち)の始めから神武天皇まで」ということである。
パワーポイントの講座だがレジュメ、資料がある。
その資料の始めに10問の問いかけがあった。

「今年(2012年)を古事記編纂1300年とする根拠は、何に書かれているか」。
「古事記おける天地は、神が作った?混沌としたものの中から自然にできた?」。
「古事記において、オオクニヌシの国造りに協力するのは誰か」。
「古事記において、神武東征の際に桜井市で初めに出る地名は」。
などの問いである。

これはうまくできている。
この問いに答えるという形で、お話が進行するという形である。

大学の先生はこんな丁寧なことはやってくれない。
60名くらい(参加申込72名とのこと)の参加者が一気に話に引き込まれる。
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講義する藤井稔先生

僕の関心だけをかいつまんで書いておく。

古事記偽書説への反論があった。
序の末に「臣安萬侶」とある。これが「当時の書き方と違い後で書かれたもの」として、「偽書説の一つの論拠だったが、発見された墓誌にはこのように書かれおり、攻撃の論拠が失われた」との説である。

ギリシャ神話との比較などの話があった。
とくにイザナミが火を産んで死ぬというくだり。ギリシャ神話なら神から火を盗む者としてのプロメテウスがある。
ギリシャ神話との比較論もけっこう楽しい。ここらあたりまで聞くと、阿刀田高の古事記、読み直したくなる。

「神武天皇=カムヤマトイワレヒコは戦争に弱い」と示唆するような話が繰り返し出てきた。エウカシ・オトウカシのこと、ヤソタケル、エシキ・オトシキなどとの戦である。勝つには勝つが、言外に計略がすぎるとの思いがあふれている。

神武聖蹟碑を昭和15年(皇紀2600年)に建てたこと、19個所の聖蹟碑を建てるために、25万円の国費が使われたと解説があった。そうだね、近く聖蹟碑を案内する予定もある。国費とか、金額とかこれは話題にできる。

要望は、パワーポイントのプリントアウトをいただけたらと思う。
講義資料だけで、パワーポイントは刷りだされていないから、話がすっと飛んで行ってしまう。
ま、そんなこともあるけど、次回も楽しみにしている。
# by koza5555 | 2012-09-10 00:01 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

興喜天満神社例祭で神輿、担ぎませんか

興喜天満神社例祭が10月20日(土)、21日祭(日)に行われる。

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天慶9年(946年)菅原道真公の神霊が初瀬に下り、その事跡をしのぶ祭祀であり、いわば、1064年目の初瀬まつり」ということになる。
この祭りの目玉は神輿・太鼓台の巡行である。神社を下りた神輿は、道真公が座られた石(切石御旅所)を巡り、とどまる。菅原道真公あっての初瀬祭りである。

與喜天満神社の大祭は通称「初瀬まつり」と呼ばれ、近世の大和で春日大社のおん祭りに次ぐ盛大な祭典として知られてきた。


与喜天満社、書きたいことが二つある。

まずは天神坐像が重要文化財に登録されたことである。正元元年(1259年)の銘があるという。
座像は国立博物館で昨年に拝見したが、想像以上の迫力だった。
金子宮司に「どのように管理してますか」と聞くと、「安全な保管は神社ではできず国立博物館に寄託している」とのことであった。

さて、その金子宮司のことである。昨夏にも書いたことがある。
昨年4月から、与喜天満神社の宮司に新たに金子清作さんが就任している。
この金子さんは、もともと国学院で神道を学びながらも家業のため、神職を離れられた。談山神社の長岡千尋宮司のお誘いもあり、山口の家業をご子息に引き継ぎ、初瀬に入り与喜天満神社の権禰宜をつとめながら、皇學館の神道専攻科を修めたという方である。
昨年、宮司の資格を得られて宮司に就任された。

しばらくは与喜天満神社は談山神社の長岡宮司が兼任していた。
長岡宮司は金子さんを山口県から引っ張り出してきて、3年掛かりで社務所、拝殿を開き、月次祭などの神事を復活されたという。

金子宮司と与喜天満神社、希望があると思うのは僕だけではない・・・

さて、「初瀬まつり」の神輿、太鼓台巡i行の担ぎ手を募集している。
重さ1.5トンの太鼓台を60名で担ぎ、初瀬の門前町を練り歩き、祭りの主人公である。
お問合せ先  株式会社 みらく 0744-47-8211です。
僕はもう体力的に無理だが、ご参加、いかがででしょうか。
# by koza5555 | 2012-09-09 00:02 | 桜井・初瀬 | Comments(0)

「楽・元気」のセミナーとまほろばソムリエのこと

「楽・元気」のセミナーでお話しする。
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近鉄のチラシができた
10月19日(金)の午後にセミナーの講師を行うことになった。
近鉄「楽・元気」生活、イベントセミナーである。学園前である。

近鉄さんから、「四季折々の奈良という話をする人がいないか」という話がまほろばソムリエの会の役員にあり、白羽の矢が僕にたった。

そこで「四季折々の天理と桜井――美しさのなかに古代と中世をみる」という演題で、90分の時間をいただけた。

山辺道を語りながら、大神神社と大和(おやまと)神社を語る。
行燈山古墳(崇神天皇陵)の1800年の歴史も述べる予定である。

初瀬の道を語りながら、長谷寺や出雲人形のお話しする。

そして多武峰、磐余(いわれ)の道ということで、談山神社、安陪文殊院を話す。
神社、仏閣の説明というより、四季折々の祭祀、行事を織り込みながら、話をつないでいく。

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「近鉄電車に乗って桜井に遊びに来て」という話である。
ウィークディの昼間である。聞きに来る方は年金者も多いようだから、「古事記発刊1300年記念の今年に、奈良の古代史をいっしょに学びましょう」と言う話もしたいと思っている。


あれこれの話を40枚くらいの美しい画像で、パワーポイントで話をする。
撮りためた精選の40枚という感じで、僕自身がワクワク気分で準備している。

奈良まほろばソムリエの会についても、当日説明する。
奈良まほろばソムリエ検定という試験を、奈良商工会議所が行っている。
奈良ファンや奈良に精通している方々を認定する試験である。
奈良の自然、歴史、観光資源を勉強して、それを観光客に伝えられる人材の育成を目指している。
試験は年に一回、一月に行われる。出題範囲は県下全域で、古代、中世、近世に及ぶ。

2級に合格し、1級を合格し、ソムリエということだから最低3年はかかる。
飛び級はない。
とくにソムリエは資料なしの3題の論文試験が難関である。

この受験勉強が僕の基礎である。
20回ほどのガイドの経験がある。そして勉強の手助けにしようと、連日更新でブログを3年以上書き続けてきた。これを語る。

ほかにも新聞の原稿書きとか、バスツアーの講師とか年内の予定は満載である。
「桜井が活性化する一助に」という気持ちはある。
でも、誰かのためにというより、学ぶことが楽しみなのだ。いくつになっても新しいチャレンジと成長は人の喜びである。
楽しみながら勉強して、充実した一日、一日を送っていきたい。
# by koza5555 | 2012-09-08 00:38 | 桜井・山の辺 | Comments(6)

桜井市史

桜井市史を古本屋で買った。
天理のフジケイ堂である。30年前の本だが、新品同然で8000円である。
こういう本はブックオフなどには出てこない。
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「どうしても欲しい本」となると奈良の中南部なら、天理のフジケイ堂である。


桜井市史には、とにかくお世話になった。

古事記や日本書紀にもとづく幾多の天皇の宮址、陵はこれで調べてその場を見てきた。

敏達天皇の訳語田・幸玉宮址(桜井市戒重)と戒重西阿の城との関係、そして織田藩の戒重陣屋のすべてが同じ場所だということもこれで知った。

軽太子と衣通(そとおしの)王の同母兄妹の許されない恋に関わって、忍阪の玉津島明神がこの衣通王を祀っていることもこれで調べた。

織田信長による三輪山の神木切りとか、戦没者慰霊祭などのような近世、現代のこともこれに教えていただいた。

果てはそうめん踊なども、これで知りブログに書いた。

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桜井市史

よくよくお世話になったものだが、実は図書館からの借り物での勉強だった。
図書館には何セットかあるので、更新しながら常に僕も一セット借りているような状況だった。

とにかく手に入って、これは嬉しい。
広辞苑を始めて買った中学生の頃の喜びの記憶がバッーとうかんでくるくらいだ。

本を買うことに、こんなに喜びを感じるなんて。65歳にしてさらに学ぶべしである。
桜井市史、これからはアンダーラインを引くことも、書き込むことも自由自在である。
# by koza5555 | 2012-09-07 00:11 | 読書 | Comments(0)

ぶれーど・う

桜井市出雲のうどん屋である。
あっちゃんを誘って行ってきた。
数量限定だそうですから、お昼に行かねばならない。

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ぶれーど・う

どうでしょうか。
ユニークな外見
ユニークな店主
ユニークな店内
ユニークなうどんメニュー
ユニークな天ぷら

それで・・・・
しっかりした端正なうどん。
そして、鰹節が香る正統派の出汁。
美味しくいただきました。

「注文を聞いてから茹であげる」ということですから、うどんを15分待つ。
待つあいだに天ぷらをいただく。
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満願寺ウインナー串、茄子のベーコン巻というもの・・・・
これは美味しい。
竹輪の一本揚げというのもあるとのことである。

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僕がぶっかけうどん。

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あっちゃんはキツネうどん。

出汁の良く効いたキツネうどんが絶品である。

次回はあっちゃんはグリーンカレーうどんを頼むそうである。

ぶれーど・う。165号線沿い、長谷寺方面へ向いて右側、出雲のバス停手前に店がある。
# by koza5555 | 2012-09-06 00:02 | | Comments(4)

習字 かな文字、5級に

習字、続けている。
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いま書いているのは、

つれのあるところに掃くぞきりぎりす

内藤丈草(ないとうじょうそう)、1600年代の尾張犬山藩士とのことである。
肉親の愛、少なく育った丈草の思いがこめられた代表作とのことである。

去年の9月から習字をはじめてまるっと一年、今でも続けている。
しかし、技量のレベルアップは遅々としたのものである。

僕のいく時間の成人クラスは有段者そろいであるが、その中では僕は特異な初心者である。
それでもこのたび、5級に到達できた。8級(僕の通う流派ではそれ以下がない)、7級をとんで6級、そして5級である。

先生からは、「書とは別のところでいろいろご協力よろしくお願いします」と頼まれたりするくらいである。
テーマが決まるので、僕が見学ツアーを具体化してガイドをしたりしている。
今年に入ってからも飛鳥坐神社の歌碑めぐり、味の風にしむらの食事会、沙羅双樹(夏椿)を見て、鮎寿司を楽しむ御所のツアーなど、たて続けのガイドである。

それで一年で5級だ。
小学生でも到達している子がたくさんいる。
「もう少し、習字がんばれ」という声も聞こえそうだが、いろいろ多忙と言い訳している。
前は週に2~3回は道具を広げたが、最近は週に一度だけである。

もともとは「記帳するときにしっかりした字を書きたい」からはじまった習字である。
万葉集などを「サラサラッと色紙に書けたらいいなあ」というのも密かな野望である。



さて、僕の習字とはなんの関係もないが、書といえば、奈良検定には各級の試験で書道家が何度も出題されている。
僕もこの試験では何度も、この設問で失敗している。

よく出題されてきた杉岡華邨(かそん)さんは今年の3月3日に亡くなった。
98歳だった。杉岡華邨書道美術館が「ならまち」にある。

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ユネスコ世界文化遺産、登録顕彰碑

安倍文殊院とか東大寺のユネスコ顕彰碑などで、骨太の書を書かれてきた榊莫山(ばくざん)さんも 2010年10月3日に亡くなっている。
# by koza5555 | 2012-09-05 00:01 | 健康 | Comments(0)

忍阪山口神社の楠 八つ房杉 神楽岡神社の杉

何本かの好きな樹の話である。
わが家の木ではなく、よその人が丹精を込めている樹である。

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一番は、忍阪山口神社(桜井市赤尾)の楠。
延喜式神名帳に記された大和の山口の神々は14社。忍阪山口神社はそのうちの一社である。

この境内に素晴らしいクスノキの巨樹が生きている。

「室町幕府の第三代将軍足利義満は、京都の北山に金閣寺を造営するにあたり、天井板を一枚張りにしたい為に、この神社の楠の巨樹を切り出したと言われています。
現在境内にある楠の巨樹は、この時切られた楠の二代目と言われています」(境内の掲示)。

このクスノキには圧倒される。枝分かれというより、2~3本が接着したという感じだが、それでもすごい。名古屋の熱田神宮は楠の巨樹(大きい7本は名前が付いている)で有名だが、忍阪の楠は引けを取らない。

接着と言えば、八ツ房スギ(宇陀市菟田野区佐倉)もそうである。
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桜実神社の境内、社殿に隣接した東の高台にあり、根幹の接着によって8株くらいの杉が四方に伸びている。全体の周囲が14mもあり、天然記念物に指定されている。
ここは、太い直立樹が枯れたのが残念だが、地を這うような樹勢の強い大樹もあり、何度見ても感動する。

先日、神楽岡神社(宇陀市大宇陀)を訪れた。春に「大海子皇子東国発ち」というツアーを案内したが、その時訪れるべきところだった。気になっていた。
そこであっちゃんと先日訪れた。普通の参拝と見学だが・・・そこで、杉の巨樹を見た。
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拝殿と本殿の間だから、うっかり見落とすところだった。

最近、気に入っている三本の巨樹である。
いつでもそうだ。大木から力をいただく。樹の声を聴くと、力がいつでも湧いてくる。
# by koza5555 | 2012-09-04 00:12 | 桜井・忍坂と等彌神社 | Comments(1)

阿部連合区の役員会

連合区の役員会が開かれた。

神社の森の伐採が一つの議題である。
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道に張り出した樫の木の大木。冬に切ることに

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神社への南口の階段。この階段の下に横穴古墳があるようである(桜井埋蔵文化財センターの談)。ちなみに本殿の下は谷首古墳で、いわば並び塚とのことである

連合区の会館にソーラーを付けようかという提案もあり、見積りをとることになる。


そして議題は出作(しゅっさく)協力金のことである。
「出作」、デジタル大辞典では「荘園内に居住する農民が、居住地以外の荘園・公領で田畑を耕作したこと」とある。

うちの村は、別段、荘園ではないが、村外に居住する方からは、(出作)協力金をいただいている。
払う側のメリットもある。
たとえば、「排水路などに不備がある」と要望が出されると、住民の方からの要望と同じような対応を村は行う。役所などに申し入れて修理などを実施させる。そんなことは個人でもできないわけではないが、煩わしい。

村の外にお住まいの方で、商店、工場、アパートなどを経営している方から集金するのである。
経営の面積によって決まる。業種などにより、若干の差がある。
僕は30軒近く、20万くらいを集金する。750円から5万円まで金額はさまざまである。

昨年は初めてということもあり、この集金は緊張した。
それぞれの感触は分かったが、そんなに軽やかではない。

交通や環境など地域と助け合って、事業も成り立っていることを理解していただきながら、丁寧に話し合って集金していく。
連合区のお金は、消防団、防災、神社、お寺(仏教のすべての宗派に対応できる)、お墓、連合区の会館、街路灯の整備や電気などさまざまに使われる。
# by koza5555 | 2012-09-03 00:14 | 民生・児童委員・町内会 | Comments(0)

国のはじまり、桜井

「はじまりの伝説」が4個もある、これが桜井市の自慢である。

4本柱である。
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仏教伝来の地
万葉集発燿の地
相撲発祥の地
芸能発祥の地


桜井市役所から桜井の記紀・万葉ガイドブックが発行されている。
市内の観光案内書であるが、13ページもあるしっかりしたもので、市内の地図もコンパクトに整理されている。
このパンフレットにも「四本柱」が紹介されている。これを参考に見てみると・・・

仏教のはじまり(伝来)
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仏教伝来の碑。山辺道の南の入口
欽明天皇である。
桜井の金屋は海石榴市(つばいち)とよばれ、大陸からの船が大阪(難波津)から大和川をさかのぼって到着する舟着場だった。使節や物資が届く。百済の聖明王からの使節が仏像と経典を届けたのはこの地で、仏教の伝来の地と言われる。

万葉集のはじまり
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万葉集発燿の碑。右下は巻1-1の歌碑
雄略天皇の妻問歌が万葉集の巻頭である。
「こもよ、みこもち、ふくしもよ・・・」とおおらかである。自信に満ちた歌で、当時の詩情も伝わってくる。
脇本から黒崎にかけての歌とみられたことから、黒崎の白山神社にこれを記念する碑も建てられている。桜井市ゆかりの歌は240首にのぼる。

相撲のはじまり
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カタケヤシ(小字名)の相撲神社
垂仁天皇の時代である。
臣が「当麻に当麻蹴速(たいまのけはや)というものがおり、命かげで力くらべをしたい」と伝える。
別の臣が「出雲の国に野見宿禰(のみのすくね)というものがいる」と言い、天皇の前、纏向のカタヤケシで二人に力比べをさせることとなった。
勝負は野見宿禰が勝つが、これを相撲の始まりという。

芸能のはじまり
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土舞台
聖徳太子である。
推古20年(612年)に百済の味摩之(みまし)が呉で伎楽(くれがく)を学び、演じたとされ、その後、聖徳太子が桜井に少年たちを集めて伝習させたとのことである。
「ぶたい」という古い字名が残り、保田與重郎氏による検証でこの地と定め、芸能のはじまりの地とてしている。
10月第三土曜日に桜井市民会館で能が上演される。それに先立って、この土舞台で供養祭もおこなわれてきた。


奈良県北部の方を対象に、カルチャスクールのようなところで桜井市のいいところを紹介する講師をやることになっている。
国のはじまり、桜井がはじめという「4本柱」を話を組み入れることにした。
これはこれで、まとまったいい話である。
# by koza5555 | 2012-09-02 00:01 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

古代史への旅 黒岩重吾

古代史への旅」を読んだ
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黒岩重吾の本はたくさん読んだ。

奈良検定のまほろばソムリエの試験を受ける時に考えた。
とにかくテキストに従って回ろうと考えた。一月の試験に向けて、夏ころから徹底的に回った。
行くところは徐々にマニアックな所になっていき、もう誰も同行者がいなくなってしまったので、独りで何度も何度も、宇陀や吉野、そして矢田丘陵や奈良を訪れた。

万葉集も覚えた。一日3首をマスターしようとカードを作って、ウォーキングに持参した。

それから人名、年代をマスターしたかった。歴史年表の暗記ではつまらないので、見回してみると黒岩重吾が面白そうだった。
これを次々と読んだ。
あくまでも僕の空想の産物だが、奈良時代の8代の天皇の顔、姿がまぶたに浮かぶようになって、名前が定着した。

ブックオフで「古代史への旅」の文庫本を見つけた。
読んだ本だが、思わず手に取る。

黒岩重吾さんは昭和12年から宇陀中学で過ごした。
国粋主義者の校長が繰り返し、激しく「神武東征説話」を語ったとのことである。
カムヤマトイワレビコは大和を目指して、熊野から八咫烏に案内されて宇陀郡(ごおり)に入る。
「お前たちは大和朝廷発祥の地に住んでいるんだ。だから誇りを持て」と教育されという。
都会育ちの黒岩さんは当時は反発したが、この経験が現在の原点であると語る。

戦前と戦後にまたがって教育を受けた黒岩さんは古事記や日本書紀に批判的だった。
それでも老後の楽しみにと、日本書紀と古事記を勉強したと語る。
彼は語る。「宇陀中学の経験が軸になり、スムーズに入れた。」
「記紀を批判的に読むだけではいけない。どこが嘘でどこが史実に近いか、それを考えてみようと変わった」とも触れられている。

さまざまに同感である。古代史を勉強する大きな契機になる本である。

暑いさなか、寝転がって読み切った。

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黒岩重吾、母校の宇陀中学は、今は共学の大宇陀高校である

大宇陀を歩くとき、黒岩重吾を思う、か・・・・・

黒岩重吾。大阪市生まれ。旧制宇陀中学(現・奈良県立大宇陀高等学校)、同志社大学法学部卒。同志社大学在学中に学徒出陣し、北満に出征する。
1970年代後半から、古代史を舞台にした歴史小説(古代史)の執筆をすすめた。
# by koza5555 | 2012-09-01 00:51 | 読書 | Comments(0)

土笛 竹内もと代

「土笛」 竹内もと代。くもん出版からで少年少女向け(小学校高学年?)だろうか。

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古事記、日本書紀にもとづく「イワレビコの東征」をテーマにした児童小説である。
「土笛」とあるから、連想できるだろうが、イワレビコによって攻め滅ぼされる「土蜘蛛族」が主人公である。
「攻められる側の痛みに立つことで、家族や生まれ故郷を思う気持ち、失われる命の切なさなども描きたかった」(作者より)とあり、穿(うがち)のエウカシとその娘が活躍する。


楽しく読むことができた。
二つの着想に感心した。
一つはエウカシとオトウカシは朱砂(すさ)(丹、水銀のこと)の分配をめぐっての争いがあり、そこから分断されたとされている。
なるほどなあ。
イワレビコは大陸との交流が強い先進部族で、朱砂の価値を十二分に理解していた。
この知識をもとにオトウカシを誘ったという分析でとても面白い。

いま一つは穿のエウカシが殺されるところのエピソードである。
イワレビコとの対面のための仮宮にエウガシが罠を作ったと言われている。
逆にそのたくらみを見破られ、その罠にかかりエウカシは押しつぶされたとなっているが、竹内さんはここがおかしいと言う。
「宇陀の高城に鴫(しぎ)をとるワナを張って、俺が待っていると鴫はかからず鷹がかかった。これは大漁だ」(イワレビコが歌を詠んで。久米歌として残されている)ということで、イワレビコ自身があからさまにワナを仕掛けたのは俺だと言っている。
エウカシはだまし討ちなどはしない勇者だと称えられるし、自らの計略を歌に残したイワレビコも立派だということである。

竹内さんはこの出来事をエウカシの娘、ミズハの目を通して書き連ねていく。
しかもこのミズハが実はミツハノメのよりしろという設定で、神の使いにもなっている。

奈良県の歴史をもう一つの面から見た思いである。

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ところで、「エウカシ、オトウカシ」、「日本神話に導かれて」の竹内もと代さんの講演会が菟田野で開催される。
10月14日(日)、会場は菟田野農林センターで午前講演、午後ウォーキングである。
これは面白そうである。僕は日程が合わないが…
# by koza5555 | 2012-08-31 00:03 | 読書 | Comments(0)

初かすみ酒房  久保本家酒造

しつこく宇陀市を歩いている。
先日も宇陀松山のライトアップで大宇陀を歩いた。
久保本家の前で、あっちゃんが「難波にも久保本家という居酒屋がある」と言い出した。
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NAMBAなんなん店

久保本家にツアーで訪ねれば、「難波の居酒屋」は当然話題になるよね。
でも、行ったことのないお店は紹介できない。

そんなことで、話は広がっていく。
大阪に出かけたあっちゃんと難波で待ち合わせした。
お店はNAMBAなんなん、高島屋の横、無印良品の地下入口の直近である。

「創業300年以上、久保本家酒造直営の居酒屋、お酒がおいしいことは言うまでもなく、おでんや串焼きを中心に一品100円からとお手頃価格の料理と、元気な接客をお楽しみください」(初かすみ酒房SHOPS)とある。

お昼のランチである。このランチには「一口ビール」が付いている。
体調が万全でなくお酒はいいと言うあっちゃんも、このビールに顔がほころぶ。

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おすすめのおでんはやはり美味しい

僕は焼き魚のセットだった
小鉢はいろいろなものが用意されており、選択ができる。
写真にはないが(後からでてきた)、おでん汁にとろろ昆布をうかべたお汁をいただいた。出汁タップリの濃厚お澄ましである。
お昼の食事もとても手ごろである。

そうはいっても、久保本家経営の居酒屋である。
久保本家のお酒ならなんでもと、たっぷりと並んでいた。
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「初かすみ酒房」はNAMBAなんなんの難波店と
日本橋のなんばウォーク、
あらたに阪急かっぱ横丁に阪急梅田店が新規オープンとのことである。
# by koza5555 | 2012-08-30 00:26 | | Comments(2)

レイランディ

例年、今頃に剪定をする。


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剪定前と剪定後。レイランディである

一年に一回だが、池ノ内のN造園さんが今頃になると現れる。
「明日やらさせてもらってもいいですか」と、これは断れない。
「今日の午後からやりたいが」といわれたこともある。
植木屋さんはお天気次第の仕事だから、手が空いたり、仕事が押して来たりで日程が事前に決まらないのは毎年のことである。
亡父がNさんのお父さんに松を植えてもらい、庭を作ってもらった時からの40年来のお付き合いである。

4年ほど前に敷地の形を変えた時も、庭づくりはN造園さんにお願いした。
レイランディを3本植えた。
レイランディ、帝塚山大学の正面玄関前の芝生に姿のいいのが一本立っている。
わが家のレイランディはそれよりは小さい。それでも、植えてから3年、相当しっかりしてきた。


ちなみレイランディ、アラスカヒノキとイトスギの一代限りのハイブリッドで、暑さに強いというのが特徴である。
一年に1メートルも伸び、放任で育てると樹高30メートルにもなるということであるから、刈込などの管理が必要である。


盆栽ではなく植木屋さんの剪定仕事をここら辺りは「木つくり」という。奈良の言葉はきめ細かく優しい。

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おばあちゃんが植えた金柑。この樹も植え替えて3年、大分しっかりしてきた。
# by koza5555 | 2012-08-29 00:04 | 健康 | Comments(0)

桜井周辺の初期大王墓をめぐって 白石太一郎近つ飛鳥博物館館長

第51回 桜井市夏季大学で白石太一郎先生の講演があった。
演題は「桜井周辺の初期大王墓をめぐって」で、大和・柳本古墳群の解説である。

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大神神社大礼記念館まえから。大鳥居、二上山を見て

講演は「奈良盆地は三地域に分けて考えよう」と始まった。
盆地の南部の東はヤマト、西は葛城。
北半分は「曾布(そふ)」の地、いわゆる添上郡・添下郡とのことである。

このヤマトの地に代表的な6つの古墳がある。
これを検討し、桜井周辺の巨大古墳がヤマト王権の初期大王墓であることを論証するというテーマである。

結論を急ぐようであるが、
一番古いのが箸墓古墳(桜井市。ヤマトトヒモモソヒメの陵とされている)。
次が西殿塚古墳(天理市、手白香皇女衾田陵である。継体天皇の后であるが、時代が200年も合わない)。
3番目が外山(とび)茶臼山古墳(桜井市)。
4番目がメスリ山古墳(桜井市)。
5番目が行燈山古墳(天理市、崇神陵)。
6番目が渋谷向山古墳(天理市、景行陵)とのことである。
6古墳、陵とも西暦で250年から350年の間のもので、大阪や馬見古墳群、佐紀盾並古墳群と比べても100年~200年ほどは古い時代のものである。

壺、埴輪、出土物(とくに三角縁神獣鏡などの鏡)などで、建築順、時期などの考証が正確になってきていると強調がある。

興味深い話が3つほどあった。

一つは岸本直文氏の古墳の「2系列説」である。
祭祀の王(女王)と政治の王が並列に存し、陵もそれぞれ作られたという論である。
ヤマト古墳群で言えば、6基あっても二系列の3代ということになる。
白石先生は「古墳は作成時は明確で、100年以上で3代というのは考えにくい」とこれには反対と表明された。

二つにはそれとの関わり合いで、初期ヤマト王権では祭祀と政治は別々の行われた可能性もあるとの指摘があった。
西殿塚古墳(手白香皇女衾田陵であるから発掘はできない)のように、前方部と後円部にそれぞれ高まりがあり、二つの竪穴式古墳が存するとみられると言われた。同時期の二人の王が埋葬されている蓋然性が高いとの分析である。
この測量図にもとづき、こういう論拠があるとは知らなかった。
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西殿塚古墳(手白香皇女衾田陵)。二つの高まりが明瞭である

三つ目として、「メスリ山古墳は大彦墓として、安倍氏族の奥津城の始めなどというのは論拠がない」と言い切られた。
メスリ山古墳も軍事、祭祀に有能な大王墓との主張である。

大和(大和・柳本・十市)の古墳群は初期ヤマト王権の古墳群であることは疑いなかろうと結論づけられた。
纏向遺跡などとともに、文献資料だけでは明らかにできない邪馬台国から初期ヤマト王権への変遷過程を解明することができる歴史的資料群があるという。
「飛鳥の時代以降の宮、都、古墳は国と県で主導的に調査をおこない、手厚い補助を行っている。
いまヤマト王権誕生のこの地域に、国と県の力が必要である」と強調された。

行燈山古墳、渋谷向山古墳も述べられたが、ここは僕も何回も書いているので今日は省略する。
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講演する白石太一郎館長

普通の話だが、観点に独創性があり勉強となった。
暑い日(会場内は寒すぎ)、お互いにお疲れ様でした。
# by koza5555 | 2012-08-28 00:05 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

桜井夏季大学 第51回

大神神社、大礼記念館で第51回桜井夏季大学が開かれた。
桜井観光協会の主催である。

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大神神社境内

午前の部は帝塚山大学考古学研究所、甲斐弓子研究員が「国家繁栄の視点から見た初瀬川周辺―古事記の中の桜井」の講演を行った。

勉強できたことは3つである。
一つは相撲の起源や役割についての詳細な説明をいただいたことである。

垂仁天皇の7年に當麻蹴速と野見宿禰の相撲のことを触れた後、この相撲というのは除災招福、相撲による祓えのことを示していると話された。
相撲は俵で結界(土俵)が作られる、四股を踏むのは地の悪霊を追い出す行為、手を打つのは神を招きよせる行為と聞き良く理解できた。

日葉酢媛命の葬儀に当たり埴輪を作ったことにも触れながら、年は違うけど相撲は7月7日、日葉酢媛命の崩御は7月6日ということで、相撲による国家の祓えをしたことを記述したのではないかという指摘があった。

これらにちなんで、聖武天皇が天平6年(734年)7月7日に相撲をご覧になられた。
826年に相撲節会が7月16日に改められるまでは7月7日が相撲節会だったと歴史を語られた。

いま一つは江包、大西などを中心にして纏向の西に出雲荘という屯田(みた)があった。のちには興福寺の荘園になったそうであるが、そのことの説明を受けたことである。

あ、ここに出雲があったかと目からうろこである。
興福寺雑役免田(1070年)によって、出雲荘、江包、大西が明示されていると岸俊男元京大教授が指摘している。
出雲臣の祖は淤宇(おおの)宿禰といい、倭屯田(やまとみた・出雲荘のこと)を支配下においたとのことである。

なるほど。
お綱祭りの泥相撲もいわば野見宿禰が関係しているんだと大いに納得できた。
「現在の出雲はこの出雲荘の長官の自宅があったということだろうか」という説明をされた。

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講演する甲斐弓子研究員

三つ目はヤマトタケルの宮のことである。
「ヤマトタケルには宮があった」と甲斐さんは熱弁をふるう。
その場所は、ヤマトタケルがいまわの時に歌った「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山こもれる 倭しうるわし」という景色がみられる場所で、「そこを探しましょう」と言うのが講演のシメだった。

最後に、地名の粗雑な読み違えや出雲(現在の)やダンノダイラについての説明は少しがっかりだった。
しかし、こんな誤りは僕などはいつも冒しそうな誤りで、「あくまでも実地を見て、あくまでもくれぐれも調べて」と肝に命じたい。
なお、ダンノダイラや現在の出雲については、「大和出雲の新発現」(榮長増文著 えいなが・ますふみ)という詳細なご本が出ていることを紹介しておきたい。

苦言も呈したが、新たな視点も考えさせられて刺激を受ける講演会だった。
# by koza5555 | 2012-08-27 00:02 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

大和桜井園の盆踊り

大和桜井園の地域ふれ合い盆踊りが開かれた。
38回目とのことである。

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盆踊り風景

大和桜井園、地域の特別養護老人ホームである。
そして、デイサービスもあれば、僕らの校区を担当する包括支援センターもここに置かれている。

そんなこともあり例年、校区の民生委員協議会から2名のボランティアを派遣するという慣わしである。

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他校区や地元の信用金庫から大量のボランティアの参加で、手際よく準備が進む。
午後2時の集合で万国旗や行燈のセット、祭の準備などに汗を流す。

奈良の盆踊りに初めて参加した。
ずっと「河内音頭」である。「民謡 河内音頭、きまぐれ家」が2時間の生演奏である。
東海なら郡上踊りのいくつかとか、炭鉱節などというパタンであったが所変われば・・・である。

僕らは設営、本番では風船釣り、後片付けという役割分担である。

最後に桜井音頭が踊られる。
「初瀬は照る照る 黒崎は曇る 三輪の馬場先は 雨が降る」の素麺掛唱(そうめんかけうた)の踊の振り付け、小道具を考えたわが町の植松先生もグループを引きいて元気に踊られた。

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午後9時過ぎにはすっかり片付いて解散となった。
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皆さん、踊りが好きで歌が好き。
# by koza5555 | 2012-08-26 00:02 | 民生・児童委員・町内会 | Comments(0)

宇陀市のマンホールふた

合併により宇陀市が誕生してから6年を経た。
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これが宇陀市のマークである。4町村の合併を端的に示している

大宇陀の松山を案内することになった。
町並みを見たり、足元を見たりして歩いているとマンホールの蓋が鮮やかである。

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大宇陀のマンホール蓋。カザグルマを意匠化したものである

大宇陀はカザグルマ自生地の北限で天然記念物に指定されている。宇陀アニマルパーク入り口の北側に自生地があるが、樹相の変化や盗掘による衰退があり保全、回復の事業がすすめられている。

少し考えてみた。
合併前、各町の花、鳥、木はどんなふうだっだろうかと。
そこで、丹念聞いてみた。宇陀市ではわからず、各地域事務所(元役場)まで行ったり、電話で確かめた。

大宇陀はカザグルマ、ホオジロに橡(くぬぎ)。
榛原は山つつじ(鳥見山に群生)、ウグイスにヒノキ。
菟田野はアジサイにウグイスに杉。
室生はスズラン(向淵・むこうじ)と松(三本松にちなんで。いまは枯れたが、天然記念物だったそうである)。

合併した宇陀市はスズランとウグイスとヒノキとなった。
いろいろと苦心の融合である。

ちなみに
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これが榛原。鳥見山も山つつじもよく分かる

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これが菟田野。ウグイスにアジサイである

室生は公共下水がなかったからマンホールの蓋はないとのことである。

そして、現在の宇陀市のマンホールの蓋はどうか。気になるところである。
市の下水道課にお聞きすると、「新しいマンホールは作っている。図案は幾何学的な模様です」とのことである。10年もすると宇陀市のマンホールの蓋は全部変わってしまうのだろうか。
# by koza5555 | 2012-08-25 00:02 | 奈良 | Comments(0)

宇陀松山夢街道 町並みライトアップ

23日(木)~25日(土)にかけて、宇陀松山夢街道町並みライトアップが行われる。
重要伝統的建造物群保存地区である。

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23日が初日で町並みライトアップ。
久保酒造、芳村酒造、黒川本家など主だった町屋がライトアップされる。
24日はアニマルパークのライトアップが加わり、最終日の25日は松山のメーンストリートに行燈が並べられる。

12月に行う古事記と宇陀のツアーでは、最後に松山を訪れる。
道の駅「宇陀路大宇陀」にバスを停めたあと、

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宇陀市中央公民館の「安騎野の朝」を見学

それから
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黒川本家(葛を商う「山ノ坊屋」家屋、江戸時代中期築、間口10間半、切妻)

そして
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郡司家(「更紗屋」家屋、明治元年頃建築)

川辺家、林家、千軒舎を経て、久保酒造というコースを歩きたい。

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久保酒造

松山城は戦国時代の宇陀三将(秋山、沢、芳野)の秋山氏により築かれた秋山城の城下町を起源とする。
その後豊臣秀長配下の大名、なかでも福島高晴により現在の町並みが作られ、地名も松山町に改められた。
江戸時代から明治時代にかけて宇陀郡の商工業の中心となり、当時からの商家が数多く残る中心街を国の重要伝統的建造物群保存地区として指定されている。

宇陀の歴史は中世以降も激動である。
中世は菟田野が中心商業地であった。元市場という。
秋山氏が阿貴(あき)(のちの松山のこと)に城下を開いてからは松山が中心となる。
明治時代までその勢いは続いた。桜井と松山の路線バスは大正6年に開通しており、松山が宇陀の入り口であった(参宮線の桜井、榛原間の開通は昭和6年)。
いまは榛原に宇陀市役所があり、経済の中心地は榛原に移っている。
こうしたこともすべて踏まえて、榛原、大宇陀、菟田野、室生の合併も行われたと理解して宇陀市を歩こうと思う。
# by koza5555 | 2012-08-24 00:02 | 宇陀 | Comments(0)

夏休みの作品

孫が一年生の夏休みを送っている。

夏休みの作品が難関である。
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犬と犬だが

孫は学童保育の世話になっているが、夕方迎えに行くのは僕たちである。

「習字だ」「英語だ」と、学童保育が終わってからママが迎えにくるまでの間を忙しく過ごす。

夏休みの宿題は、「アレッ」と思うほどわずかである。
しかし、難関は「夏休みの作品」である。
担任の教師のお薦めは「絵」である。僕が言うのもなんだが、孫のスケッチ力はそれなりのものがある。

しかし、あっちゃんは「木工所の娘」で、どうしても木工展への思いが捨てきれない。
先日、学校の中から木切れを拾ってきた。剪定したまま放置されていた木切れである。
三人(あっちゃんと孫、僕)で「どうする?」というと「鳥か動物に」ということになった。
監督は孫?職人はみんな?みたいな感じで、久遠(くおん、犬の名前)を見ながら、あれこれと作り上げた。

頭を取り付けるために、7センチくらいのステンレスの皿ねじだけは買った。
犬に見えますでしょうか。

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5年前、パソコンで遊ぶ孫と久遠

犬を作った孫は5年前、赤ちゃんだった。今は立派な小学生である。
久遠は5年前、子どもの犬だった。今は普通の大人の犬である。
# by koza5555 | 2012-08-23 00:04 | 健康 | Comments(0)

飛鳥歴史公園

「灼熱の太陽」って言すぎじゃないですよね。
ものすごい陽射しです。

午後だけですが、どうしても日覆いがしたい植木がありました。
いろいろひねくり回していると

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こんなレジャーシートが出てきました。

国営飛鳥歴史公園開園20周年とあります。
あっちゃんの記憶では、15年も前に「飛鳥里山クラブ」を受講し、その講座のなかで、いただいたか購入したものとのことである。

飛鳥里山クラブ、あっちゃんは3期生で今年の募集が17期生だった。

飛鳥里山クラブは国営飛鳥歴史公園が事務局を作り運営する。

「飛鳥の魅力をより多くの人々に伝え広める活動を行うボランティアグループ」で、「この活動を行っていくため、入会初年度に全20回の講座」を持ち、その内容は里山づくり・生き物・歴史・風土地理・ものづくりなどの飛鳥に関連することを屋内や野外で学ぶ」とある。

飛鳥そのものを学ぶとともに、里山の普遍的な価値を学び、里山と楽しみ、里山を守るために汗も流し、技術も身につくという講座である。

あっちゃんはこの里山クラブではるるんや山里Cyafe(ちゃふぇ)のNさんと知り合った。
そして、僕もその友達となった。

里山クラブ、3月が例年の募集の時期である。抽選となるような人気である。
飛鳥だけなら「いいかな」とも思うが、山を歩いたり、自然を楽しむスキルアップが確実で魅力的である。

春にも一旦心に決めていたが、健康に留意して、来年度、僕も行こうかと心に決めるのである。

そして、このレジャーシートは引き続き保存ということになり、丁寧にたたみ、収納することにした。
# by koza5555 | 2012-08-22 00:03 | 橿原・明日香・御所・吉野 | Comments(0)